言葉は永遠に生きて…

      2021/06/03

 このコロナ禍の中で良いニュースもない日常の中で、国語の先生をしていた親戚の女性から、亡くなった叔母の多寿子の遺短歌集を本にしたいので孫である信之さんにも、一文を本に寄せてもらえないかと嬉しいメールが入りました。

 そのメールには叔母が生前に託された400首の短歌を、やっとコロナ禍で時間ができたので短歌集をまとめているとのこと…とても、ありがたいことです。その文末に「私が国語の教師になったのは、叔母の家に遊びに行くたびに、いつも昔ばなしを聞かせてもらうのが一番楽しみでした。それがきっかけで読書が好きになり教師になったのです」と書かれていました。

 この女性から叔母と呼ばれる多寿子は僕の祖母であり、育ての親でもあります。大阪で放蕩生活をする父に代わり、孫である僕と妹を大阪から大分に引き取り親代わりに育ててくれた恩人です。

 ただ僕にとって多寿子さんは、ずーっと「おばあちゃん」であり、青年期になって、やっと祖母の名前が多寿子だと知るほどに、祖母の人生など考えることもない、普通の「孫」と「おばあちゃん」の関係でした。

 僕も青年時代には例に漏れず反抗期があり、親代わりの祖母と言い合いになったこともありました。そんな気まずい空気も、祖母からの「何か食べるね?」という茶目っけたっぷりな笑顔で緊張はすぐに解けて終戦です。対立して緊張する時間をスムーズに終わらせるのはスゴい能力です。ケンカを始めるよりも終わらせるのは数百倍難しいからです。
 ある時、祖母が「私もアンタと、お婆ちゃんと孫の関係でい続ければ、こんなケンカもせずに済んだのに…」と反省とも寂しさともつかない顔で、僕に語ったことがありました。ただ可愛がるだけですむ孫ではなく、親の代わりに口うるさくしつけないとならない。すると孫からはうとましがられる。

 そんな、祖母の悲しみがそのセリフの中に隠れていました。

 その時にも祖母に伝えましたが、今でも「おばあちゃん」と「孫」ではなく、親子のような関係を祖母と持つことができたのは僕の宝物です。

 今回、祖母の遺した短歌を読みながら、戦争で愛する人を海で失い、一人息子をその愛した形見として守り育てる女性の姿、終戦後に再婚し、新たな家族が増え、過去の親戚と現家族の中でバランスをとり懸命に生きる姿がそこにはありました。幼かった孫からは、知ることのできない祖母の姿が短歌には刻まれていました。

 「水に死せし 父とも知らず 水恋ひて 楽しく遊ぶ 吾子の愛しき」
 戦争で海に散った父のことも知らずに、水遊びに夢中になっている幼児であった父。その幼な子を愛おしいと感じる若き女性が祖母なのです。その時代には僕の存在は影も形もありません。でも数々のシーンには「おばあちゃん」を越えた女性の人生が映画のように映し出されていく…その映画のヒロインの血が僕にも受け継がれていることに感動を覚えました。

 その本の序文で書かれていた「あまり人にお見せするような歌ではありませんが、子供や孫が読んでみて私の一生の生活『なりわい』がこんなものであったのかと分かれば嬉しいと思います」その祖母の願いは親戚のご尽力により見事に花開きました。

 さらに晩年の歌には、先に亡くなっていく人を見送る悲しみと、老いていく我が身の心情も詠まれています。それは死しても孫に「あなたも心の準備をしなさいよ!」と優しく僕の肩をたたいてくれた気がします。

 最後に祖母は、
 「張り詰めし 苦境の日々は 長かりき 老いてようやく やすらぎのあり」
 「顧みて われのひと世の なりわいも 過ぎて思へば すべて懐かし」

 戦中戦後の時代に翻弄され、波乱に満ちた人生であったとしても、晩年は穏やかな日常の中に安らぎを見出したのだろうと安堵しました。

 日記よりも短歌を自分史として残すのはステキな方法論だと思います。

 今の時代はなんでも可視化の時代です。なんでも分かりやすくファクト(事実)とエビデンス(証拠)で隙間がない世界の中で、読み手の想像力がいくらでも掻き立てられる「短い曖昧な言葉の世界」の短歌。

 その短さが情報過多の僕には、今とても優しく感じましたよ。おばあちゃん!

 

 

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