虐待で苦しむ親と子へ

      2019/04/21

 あなたの子どもは あなたの子どもではない
 子どもは「命」の神秘から来た存在である
 子どもは 親を通過してくるが
 しかし 親から来た者ではない
 子どもは 一時 あなたと共にいるが
 あなたの 身体の 一部ではない

 あなたは 子どもに愛情を与えたとしても
 あなたの 夢や価値観を押しつけてはならない
 なぜなら 子どもには 

 子どもの夢や考えがあるからだ
 あなたは 子どもの可能性を

 広げられたとしても
 しかし 子どもの心や夢までは 動かせない

 子どもは 明日の世界を生きる
 あなたは それを訪ねることも

 見ることもできない
 あなたは あなたの子どもに

 あなたの常識を押しつけてはならない
 なぜなら 彼らが未来の扉を開き 
 過去の間違いを修正していくのだから

 子どもは矢であり、

 あなたは弓ひく人であれ。
 未来を信じて遠くへ 遠くへと 矢を放て

 それを喜ばしく感じる親が
 愛ある親なのだから …

 


   カーリル・ギブラン 「預言者」 衛藤信之 訳

 

 虐待の事件が起こるたびに出てくる、親の「躾(しつけ)」とは何なのか?

  「正しい事」を教える。その正しい事は「時代」と共に変化します。

 戦争の時代は、お国のために、敵の命を「殺める(あやめる)」ことが正義であったが、今では、それは狂気です。
 一生懸命に会社のために身を粉にして働くことが「正義」の時代から、残業をさせ、定時に帰らせない会社を「悪」とみなすようになっています。仕事を自由にしたいと思っても電気が消されると、仕事を積み残して帰らなければならない「積み残しストレス」が増大します。

 「正義は不正義に化ける」

 「基準」が変われば正しさも変わる。ハラスメントの基準が生まれると、それを逆手にとって逆ハラスメントが生まれる。

 行き過ぎた「しつけ」が法律で規制されはじめると「早く寝なさい!」「しっかり噛んで食べなさいよ!」という親のしつけも、子どもの受け取りかた次第では「それで傷ついてトラウマになった!」と、逆ハラスメントに転じることも起こり得ます。いや、学校の現場では、すでに生徒から先生に対する逆ハラスメントが起こっています。

 そうなると今の基準に、さらに基準を追加し、さらに細かく基準を作る。失われて行く、自分で考えるという「思考する努力」。

 


 ギブランの言葉にある「未来の彼らに私たちの価値観を押しつけてはならない」。それは、彼らが試行錯誤しながら、見つけて行くものなのだから…

 清濁併せ呑む、水清ければ魚棲まず。水をクリーンにしても魚は住めない。泥の中から学ぶこともあり、すべてを法律、規則で縛ることが、それが彼らの健全な心の成長にもならない。それは、泥水以上にアップ、アップと呼吸し難い、生きにくい社会になりはしないのか!
 真剣に大人たちは議論をしなければならないと思う。

 SNSでアホな画像を載せている若い子も、今の時代は便利になり過ぎ、若い時のおふざけも赤恥も、SNSで拡散され永遠に消えないものになってしまう憐れ。

 

 

 SNSは、すぐに有名になる便利さが、彼らを余計に道化師(ピエロ)へと走らせる。そして、それは彼らが学ぶ「泥」の機会ではなく、人生すべてが「破滅」する瞬間に変わってしまう。

 テレビのコメンテーターは、若者のバカさ加減を批判する前に、彼らは僕たち大人たちが作った便利さに踊らされている未熟な存在であることも考慮すべきではないのか?

 

 

 やがて弓から、「矢たち」は遠くへは飛ばなくなってしまう。たとえ、飛んでも、大人たちが望んだ形に「しつけ」され、親が望んだスポットにしか刺さらなくなる。やがて社会は静かになり活気を失っていく…バリエーションという個性を…

 やがて、そのスポットが「何処かの国と戦うことだ!」と信じる若者だけが育つ社会にならなければと僕は祈ります。

 虐待で亡くなった子どもに祈ります。親の躾なんかは間違っていることもあるのだと、君は悪くはなかったんだよ。夜中に立たされ、冷水を浴びせかけられる必要はまったくなかったんだと… 遠くに矢のように飛びたかったね…

 

 

 何が大切なのか、規則よりも、罰則よりも、虐待する親が冒頭の詩を過去に一度でも見る機会があり、その意味の深さ(離別感)を理解できていれば、あのような事件は起こらなかったかもしれない… 

 

 あの親も被害者なのかもしれない。

 だから、僕は今日も語らずにはいられないのです。

 今、大切なのは規則で縛ることよりも、

       大人達の教育が必要なのだということ…

 

 

 

 

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