黙考の中で••••

      2019/04/21

 すさまじい現実に、昨日は言葉を失っていました。

 たくさんの悲しみ、悔しさ、絶望を前に失語症のように••••

 いろんな臆測や非難が飛びかい、哀れみ同情も同じくらいに••••

 ただ今は、人は誰かが苦しんでいる時に、黙々とやるべき事をやるしかないと思っています。

 言葉は簡単なのです。哀れみの言葉、同情の言葉もたやすい。ただ、その人のために何が出来るかを粛々(しゅくしゅく)とやる。

 粛々とは(静かに、速やかに、自分に厳しく、大騒ぎしないで慎ましくやるべきことをする)

 僕の長男が小児がんになった時に「大丈夫ですか?」「心配でしょ」と言われるたび、自分自身も子供が、どうなるかわからない病状の進行に不安な時に「おツライでしょう」の言葉に、最後は応えることに疲れていました。

 そして、僕たち夫婦も、最初は「どこにも持って行けない不安と苛立ち」に犯人探しをした記憶があります。

 ガン遺伝因子というものがあり遺伝も影響すると「噂で」聞けば互いの親族に何人ガンで亡くなった人がと••••バカな話です。

 そんなことをしても子供の病状はよくならない。大切なことは協力してこの現状を乗り切る。

 そう、未来に向けての静かな協力態勢です。

 人は興奮すると義憤にかられて「お助けゲーム」(交流分析の心理学用語)をします。

 「あなたの為に」は、自分の興奮状態から多角な立場の人の心を傷つけます。「偽り」という漢字は、人の為にと書きます。

 風評被害もそうです。だから、静かに心を沈めて行動することが大切なのです。

 そして、あの頃、一番優しかったのは遠くで大騒ぎしないで見守ってくれた人々でした。

 では、協力体制とは、どういうことか。




 皆で被災地に行けばいいのか⁉

 そうではありません。「何かしなければ」と興奮した人々が現場にかけつければ現場が混乱します。それを僕は阪神淡路大震災で経験をしました。

 義援金を募るのでもいいでしょう。

 でも、もっとも大切なことは静かに、いま僕たちの目の前にあることを粛々と行う。

 今日の日曜日は、誰かのために祈るのもいいでしょう。

 でも、明日から早く生活を普通に戻すことです。

 いま、世界は日本を観ています。

 国際的な経済アナリストは「日本は終わった」と観ています。国の負債も経済も政治も最悪なところに原発事故、膨大な被災額。
 日本は「もう過去の国」となったと思っています。

 だからこそ、被災者のためにも僕たちは、明日から日本を災い転じて福となすために粛々とやるべき事をなす。

 危機は、「危ない」と、「機会」のチャンスもあるのです。

 国の国家予算をしっかり被災者に回すためにも、僕たちは強くて人にも自然にも優しい国家を迅速に作ることです。

 そのためには、被災者やその近親者は除き、僕たちは自分の仕事や勉学、また家事など、いま目の前にあるやれるべきことを粛々とこなす。

 それが災い転じて福となすの第一歩です。

photo:02 



 僕も震災の時は、もう笑って前向きな話なんかできないと思って言葉を失いました。講座も、しばらくは笑えないと••••

 でも、その時こそ龍馬のように多くの人に後ろ指をさされても「我がなすこと
は、我のみぞ知る」で国家のために走ろうと思いました。

 そして、僕が亡くなった時には、周りが僕のことを忘れて次の日から、笑ってしっかり生きることを願える強き男になろうと••••

 みなさんも、自分のフィールドで明日からの目の前の第一歩を粛々と•••

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日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき





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