めでたさの裏に...

      2019/04/21

 新しい年を迎えました。

 

 

 ある人にとって「おめでたい」は、ある人には「めでたくはなく」。
 一家団らんや沢山の人の集まる場所にいる人もいれば、孤独に過ごす人もいます。
 美味しい物を食べる国あれば、貧しさに飢える国あり。誰かが出会えば、誰かが別れざるを得ない人もいて、華やかさの中に、なぜか、淋しさを感じる時があります。

 

 

 祭りばやしを遠くから聞く時のような淋しさを...自分には関係のない世界のように...ここからは「関係者のみ」と立て札を前にした疎外感を。


 15世紀の京の都で、元旦の早朝から京の家々の門口を訪れては「御用心なさい、御用心なさい」と髑髏(ドクロ)を竹の先につけて大声で叫んだ一休禅師。
 「ここに元々、目があった、それが飛び出て『目でたさじゃぁ!』」とふれ回った。当時の京の人には、一休は不吉な狂った坊主に見えたことでしょう。
 彼は狂雲集で「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」と詠みました。

 


 京の都の外側では、貧しさと飢えの中で年貢を納めているのに、京の都だけが「正月だ!正月だ!」と浮かれている無関心さに、哀しみと憤りを感じていたのでしょう。
 「あなた達が、そうやって浮かれている間に、気をつけていなければ、死の陰が近づいていますよ。あなた達は関係ないと思っているかもしれんが、普通の誰かの幸せの裏に、たくさんの悲しみが隠れているのですよ!」



 平家物語で「 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。 ただ春の夜 ...」成功者は永遠ではありません。栄誉栄華に浮かれた人たちは、春の夜の夢のように消え失せます。

 浮かれている時には、誰かの哀しみが背景に隠れていると知って、感謝すべきかもしれませんね。まさに「勝って兜の緒を締めよ!」ですね。

 ふと家族や親戚が集まる中で、その瞬間のありがたみを感じると同時に、誰かの孤独に思いをいだく人でありたいです。

 

 

 《 大量 》
 朝焼け小焼だ、 大漁だ 
 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。 浜は祭りの ようだけど、 海のなかでは 何万の、 
 鰮(いわし)のとむらい するだろう。
 = 金子みすゞ=

 


 昨年を漢字1文字で表す、京都の清水寺で発表された文字は「災」でした。
 でも、哀しみを乗り越えた先には、反対に希望をも感じたいですね。

 

 

 

 

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