「義なる人」

      2023/08/22

 九州出身の父の元で育ち、反発しながら父を取り入れていた。

 当時の僕は「男たるもの…」があって、ドンと家の中で座って構えているのが父親だと思っていた。

 やがて心理学に興味を持ち、それは幼児性の表れで、すべて妻に頼るのは子どもが、誰かに頼って思いを遂げる「魔法の助っ人」を求めていることを知った…。
 ゲシュタルト療法では、完成されたパーフェクトの円を外に求める永遠の旅人…永遠に完全なパートナーを求める姿。

 その後、海外に渡って、社会的に立場のある男性(大学の教授、会社の創業者etc.)がゴミ捨てを笑顔でするシーンを見かけたり、家の買い物を楽しんでいる姿に憧れた。また些細なことでも笑顔で「ありがとう」と言うことも含め…それも当時は「カッコいい」という、ただの取り入れだったのだと思います。

 その証拠にトイレットペーパーを変えること、風呂の排水口の髪の毛を取り去ることにも「少しやってやっている」という思いが無意識にあり。やりながらも…

 微妙に、「なんで僕が…」という少し面白くない気持ちにもかられていました。植物の水やり、階段の掃除機をかけている瞬間も…誰かのために冷蔵庫に食材を買い込むことすらも…

 日常で当たり前なことほど、誰からも評価されないことのほうが多いものです…。それでも誕生日も憶えてもらえないこともあり、「なんでだ…」と納得のいかないこともありました。

 今は「自分が憶えてしたくてしている」に変わりました。
 それは父親とかけ離れた男性像でした。

 時代は変わりジェンダー(性)の問題や、「男性だから女性だから」と言う思い込みもフレーム(枠)を変えることを求められる時代になりました。

 従来の「かたくなな価値観」とは…

 自分だけ働くことは損だ。
 給料の差で人の価値が決まる。
 人はやってあげたことには感謝を述べるものだ。
 楽な仕事が良い仕事で、いかに効率的に動くかが大切だ。
 家族は仲良く、皆がいたわり合うことが絶対だ。

 僕は自分が家族や、誰かのために働いたり、気を遣って過ごしてもいいが、せめて「それを誰かが感謝すべきである」と思っていました。

 ユダヤの聖典タルムードの中に、「神はこの世界(特に人間世界)にガッカリして滅ぼすことを考えている」とありました。ただ滅ぼすことを踏みとどまっている理由も書いています。それは「まだ生きている義なる人も一緒に滅ぼすことを良しとしないからだ」と…
 義なる人が、現代もわずかに生きていて、その人たちも愚かな人間と一緒に滅ぼすことを「良しとしないのだ」と…

 その義なる人たちは、人知れず、誰かに喜ばれることで見返りを求めず。

 自分が義なる人であることにも気づかないほどに質素な生活で、当たり前のことを当たり前のように働いている。

 それが「この世界の秩序を守っている」と…。それが世界の中核となり、神様は滅すことをためらってしまうのだと…

 僕も「義なる人を目指そう」と思ってからは、ヒーローが隠れて行動するように家族や社会の中で、人知れず身体をボロボロにして、神様にお返しすることを義とすると、「自分が損している」とか「自分ばかりが…」が軽減されたと思えます。

 もちろん、いまだにチクチクすることがありますが、そこは未熟な人間ですから、「あるがまま」にとらえて、それも「まだまだだなぁ…」と舌を出しながら自己受容(怠慢は排除して)しながら、スモールステップで目指そうと思います。

 あなたは今日、「義なる人」でいますか?


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心理カウンセラー衛藤信之
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