神経質な幸せよりも••••

      2019/04/21

 ある女性がご主人の裏切りを知った。そして、その遊びは終わりそうにない。



 いろいろと苦しんだあげく、それでもそのご主人と「別れることはできない」「愛している」と究極で悟った。



 だったら、それをベースに「幸せを見つける努力」を始めた。もちろん「ご主人」も「現実」も変わらないけど、泣いてばかりいた頃より楽しくなったと彼女は言う。「そのお陰で、メンタルに来ても、いろんなことがストンと心に入る」と彼女は可愛く笑った。



 その彼女も時より、仲の良い友達から「そんなの変だ」「本当は辛いでしょう」「普通の夫婦ではない」と言われると自信をなくして落ち込むことがあると言う。



 僕は、いろいろな幸せのパターンがあると思う。



 普通の夫婦は「かくあるべき」。普通の幸せは「こういう生活」と決めて、そこから離れている現実、わが身を、悲しむ時間が人生には多い。



 でも、その理想と現実をウジウジとなげき悲しまないで「今、ここ」にある自分の現実生活をベース(基本)にして「楽しく生きよう」とする人を「普通は」とか、「一般的には」とか、と周囲の鋳型にはめて、人を笑うことは失礼だと思うし、誰も笑うことはできない。



 幸せは誰かの「承認」で決まるものではなく、自分が「幸せだと感じる」ものだと思う。



 「あの奥さんは不幸そうね。ご主人は仕事が趣味で家をかえりみないのですって‼」と周囲に言われても。



 言われている側は

 「ウチの主人は子供のように純粋に好きなことをしていると目がキラキラしていて」と、その奥さんは幸せを感じている。



 周囲から見るとア然‼



 あそこの奥さんは鈍感じゃないの?

 いつも平和で!!



 でも、そんなボケた奥さんは、バン万歳です‼



 そう、そんな奥さんのほうが幸せ者だと思う。



 僕だってよく言われる。



 「毎日、何時間もヒト前で話すのは大変でしょう」

 「え~、毎週、博多、大阪、名古屋、東京ですか‼ 疲れますね」



 「そうですね」と僕は応えながら。



 「あなたの『普通の視点』からはね。そう見えるでしょうね••••」と心でつぶやく。



 ラブラブ幸せは自分で決めるものなんだよラブラブ





 「そんなに忙しくて家族は大丈夫ですか?」この質問の時には僕は「妻に聞いて下さい」と応える。



 きっと、ウチの妻も「いいわね。平和で」って周囲から言われる口かなぁ。



 だから、大切なんだね。あの妻が••••



 お互いさまで、僕も妻の普通の料理を「これ美味い!」って思って食っている口だと思うから••••



 神経質に完璧を求め合う夫婦より、ボーっとした夫婦の日向ぼっこの日常のほうが幸せなのだよなぁ。夫婦って••••







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日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき





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