愛するということ。

      2019/04/21

 ある女性が男性に別れを告げられた、彼女は逆上して男性の住まいや職場に押しかけた。

 その男性を攻撃したいのならシンプルです。ヒドい女性ですむから。

 でも、なぜそんなことをするのかとたずねると「よりを戻したいから」と彼女は言う。自分の愛の深さを伝えたいからだと•••••

 ある有名な作家が
 「女の美しさのすべては、その愛の始まりにおいて現され、女の醜さのすべては、その愛の終わりにおいて現される。愛が試されるのは、愛の始まりではなく、愛の終わりである」と言った。

 これは女性だけではなく、男性にも言えることです。

 人は他人の為に何かをやっている時に、生きがいを感じます。恋人のために部屋の掃除をすることも、料理を作ることも、一生懸命に働くことも、すごく幸せを感じます。

 このように恋する人に、つくす行為は美しい。ただし、それは相手の恋人も、尽くされることを望んでいる時にのみ美しくなるのです。

 相手のために行動して、幸せに感じることと、相手が、それをどう受け取るかは、終わりの時にはズレが生じます。

 彼女は嫌われているとわかっても、なおかつ「私はあなたに嫌われたら生きて行けない」と留守電やメールで伝えるのだという。どうしても愛の強さを伝えたいからだという。

 相手を愛することが、そういうことをしない事だということが、その女性には理解できない。

 会いたくて、会いたくて、呼吸ができないほど会いたくても、その人が今、自分を必要とせず楽しく生きているのなら、その人を愛すると言うのは、会うことではなくて、その人の幸せを願うことなのだと••••会えなくて苦しいのは、相手ではなく自分なのだから。それが、究極の愛なのだと••••

 子供を手放せない親も同じです。

 「あなたのために」と魔女の呪い(交流分析用語)を子供にかけ続ける。

 そうでしょうか、子供は、育てたくて、育てた、愛したくて、愛したのです。子育てをして感じることは子供が病気になるよりも、自分が病気になるほうが楽なのです。子供が飢えるよりも、親が飢えたほうが耐えられるのです。それが、親の愛なのです。

 「子供なしでは生きて行けなくなった」時に、親は子供の自由を奪う存在になる可能性があります。

 僕も、ある男性から愛する娘を奪ったのです。だから、やがて僕も娘に対して、僕に振り向くことなく誰かのために生きることを認めないとならないのです。

 真実に人を愛するとは「あなたなしでは生きて行けないわ」と言うのではなく、愛する人が自分なしでも生きて行けることを受け入れることなのだと思っています。

 だから、人は愛する人のために、本当に強くならなければなりません。人間がその人をどれだけ愛したかは、どれだけ立派に泣きわめかずに「さよなら」できるかということなのでしょう。

 ある女性が言いました。一番忘れられない男性は、私に別に好きな人ができて私の都合で別れを告げたのに、相手は自分を責めないで「君の笑顔が好きだから」とだけ言われて、さよならした人だと••••ステキな人ですね。

 もちろん、それは簡単ではないからです•••••






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