年に一回のお祭り!

      2019/04/21

 始まりがあれば、終わりがある。

 僕が20代の頃から始まった、年に一度の島のキャンプ。

 気の合う仲間と船で島に渡った。それが、日本メンタルヘルス協会主催の年に一度のワークショップ・アイランドツアーに変化したという歴史があります。最初の頃は、みんなで火をおこして食事を作ったりしての単なるキャンプだった。

 でも、僕がアリゾナのインディアンの地から帰って来てからは、自然の中で大地と調和し、自分を探るワークショップへと確実に変化していった。

 いつの間にか、ただのキャンプではなくなり、島での滞在時間をワークに目一杯使いたくて、食事の準備は、島にある施設にお願いするようになり、すべてが自分を見つめるワークショップへと進化をとげたのです。

 ここ数年、アイランドツアーの申し込み者数はロッジの定員を上回る三百人を越え、抽選方式になり、メンタルのスタッフには、いつの間にか疑問が生じていた。

 それは「メンタルらしさに欠けているのでは?」行きたい人が行けないなんて…

 落ちる人々の落胆をスタッフは見ている。そして、そんな悲しみを知らない申し込み者の中には、参加メンバーが確定してからキャンセルする人も存在した。中には「運だめしで、申し込んでいたからと…当たるとは思わなかった」と言ってキャンセルする人まで…。もちろん「一人くらいキャンセルしても、落選した人が復活するだろう」という気持ちもあったのだろうけど。この瞬間から、その人の生き方が反映される。それも自分を知るワークショップなのです。

 でも、落ちた人を参加者に入れることは、申し込み時間が厳密に確定できない協会側からすると、厳正な審査の信頼性が揺らいでしまうのではないかというストレス。

 また、200名以上の参加者を感動させるための、スタッフの下準備は多大な気苦労がともなっていた。

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 そんなスタッフのストレスを考えて、僕は最後のスタッフ・ミーティングで「今年でアイランドは最後にしよう!」と決めた。ミーティングの中で、スタッフからは異議申し立てがなかったのも、やはり彼らの心労は確かに存在したことを物語っていた。

 初日に僕自身が参加者に「最後のアイランドだから皆で楽しもう!」と告げて始まったファイナルのアイランド。参加者からは「今年が最後」の言葉に驚きの声が上がる。でも、最後の年に参加できた喜びも同時にあったと思う。

 このアイランドでは、同室のメンバーとは、毎年「心の友」になる。参加者の中からは「これもシンクロニシティ(意味ある偶然)なのでしょうか。出会えるべきして出会った仲間だったです」とたくさんの声を聞く。「最初から、わかっていたのですか?部屋割りする時点で気が合うと」僕はこう答える「カウンセラーが部屋割りするのですから」(笑)

 でも、それは違う。講座の中でも行うライフラインを夜を徹して、ロングバージョンで語り合う。ある種の一体感と深い自己開示が人と人とを短時間で親しくさせるのです。

 また、ワークの中には、自分と組んだパートナーを目隠しで、200名以上の中から組んだパートナーを探すワーク。
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 「この手がパートナーだ‼︎」と思えたら、その場で座ればいい。手を握りあったパートナーも一緒に座ってくれれば、目隠しを取ってお互いに確認し、その相手がパートナーであればゲームは終了。いたって簡単…

 でも、手を握ったパートナーが「そうでない」と思えば、どんなに相手に促されても座らなくてもいい。残念だけど、座った人は一人で目隠し集団の輪から出ることになります。このゲームの間は、目隠しの輪の集団の中にいる時は、無言でなくてはならない。

 自分だけ座ってパートナーが座ってくれない人。目隠しを外してパートナーを確認。「間違いなく、パートナーだ⁉︎」でも、なぜ、自分と座ってくれなかったの…置いてきぼりにされた気持ちになるメンバーもいる。

 手を握った、相手に促されて座ってみたが、相手がパートナーでないと知って声を出せないまま、ゲームの輪から出される人。真のパートナーは、これから輪の中から、いなくなった自分を探すことになる、それをパートナーに告げられないまま…

 最初はゲームだと思っていても、自分のパートナーが目隠しをしながら一生懸命に、輪の集団には居ない自分を探している姿に後悔の思いが時間と共に強くなる。

 なぜ相手に誘われて、自分は確信もなく座ったのかと。そして、他人に流されやすい自分の現実の人生をふり返る参加者もいる。

 輪の中で探している人は「もしかしてパートナーは間違って、誰かと座ったかもしれない」と見つからない不安抱えたまま探し続ける。「そうだとするなら、自分は輪に居ない人を探していることになる」この目隠しという孤独の中で…

日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき-image

 「もしかして、自分はゲームと同じように夢や愛する人を探せることは永遠に出来ないのでは?」そんな自分の人生の不安と関連させて、目隠しの中で涙がにじむメンバー…私の探しているものは、この世界にあるの????
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 パートナーが見つかって、楽しく輪から出て笑っているメンバーにも、僕はマイクで誰とはなしに語りかける。

 「この世界では誰かが一生懸命に何かを探している時に、自分は成功したから、自分は探し物が見つかったからと、苦しんでいる人に対して無関心な人がいます。たかだかゲームだけれど、輪の中にいるのは、あなたの分身かもしれません。いや、人生の中で、あなた自身もリアルに何かを探しているのでは…そのあなた自身に『ゲームだから』と、あなたは無関心でいいのですか?」輪から出て外で雑談しているメンバーも、他人に無関心な日々の自分を思ってワーク中、広場は静まりかえる。

 中には、最初はゲームだし、目隠しなんか不安だから、早く面倒なゲームから出ようとして、何も考えずに誰かの手を引っ張って座ったメンバーもいる。

 その結果、誰かを道連れにし、その相手のパートナーを輪の中で、永遠に見つけ出せない状況にしてしまった自分の単純さに、気づいて落ち込むメンバーもいる。自分の現実の人生でも、安易に行動し過ぎて、誰かを傷つけた過去を思い出し、人生を振り返る。

日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき-image

 中には「もう、パートナーがいなくてもいい。自分が最後までゲームを楽しむ」と決めたことで、不安がなくなった人もいる。現実の人生も、そうして楽しめばいいのだと!

 そして、夜のインディアン・ワークに向かって、自己発見はつづく!

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 仮装は、いつもの自分を手放せないメンバーに力を与える。ペルソナ(社会的な仮面)をはずすために、逆に仮面をつける。そうすると、いつもの自分と違う自分になれるから…これもインディアンの人が使う手法。

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 ただ、インディアン(ネイティブ・アメリカ)とは、ほど遠いものになって行ったけど。(笑)

 でも、これも「その人らしさ」が現れるから、さらに自己発見につながる。

 星と大地のワーク。

日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき-image

 人間社会にある悩みは、星々の散らばる空と、大地の中で行われている小さなイベント。

 たとえ、誰も守ってくれなくて、誰かを探せなくても、大地はいつも幼い時から自分を足下で支えてくれていた…愛する人が、自分を包み込んでくれなくても、大地は、いつも僕たちを支えてくれていた。僕たちはそれを忘れて、ちっぽけな大地にしがみ付いて生きているコケみたいな存在(笑)これまたコケが、誰かのことを気にして生きている(笑)。この大地に寝そべって、空と大地の視点から自分を眺めていると、すべてがちっぽけなことに思えてくるから不思議。

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 大地が、自分を抱きしめてくれる体験。

 やがて、僕たちは誰もが母なる大地に帰ってゆく。

 会いたかった人々が眠っている大地に…今まで自分を支えてくれたであろう大地へと…

 アイランド、語りたいことは尽きないけど、今までも、これからも僕はプライベートで君に会いに行くだろう。また、いつか会いに行くからね…

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日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき





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