合理主義に勝利した挑戦者たち

      2023/05/04

 天才と言われた野球選手がいた「取れない球なら追っても意味がない」とボールをぶざまに追わない。監督に声を出せと注意されても「声を出すと頭痛がするので」と声を出さすことを拒んだ。彼の心には「声を出さなくても、難しい球を取ればいいんだろ」と結果だけを考えていた。彼は難ゴロを、ぶざまに飛びつくことをしないで平凡なゴロのようにキャッチすることを信条にした。  天才だからできる技術。ヒステリー性格者なら逆に普通の打球を、難ゴロのように見せようとする。そして、彼はその技術を見抜くことのできない観客や野球解説者を心から軽蔑していた。彼はユニホームが汚れることを嫌がった。「ぶざまにスライディングするなんてバカだ」と考えていたのです。可能性がない球を飛びついてまで取るのは技術ではないと信ていた。

 長嶋を超える可能性がある天才は、やがて観客の支持を得られないまま球界を去ることになりました。彼には何かが抜けていました。それが「感動」という二文字です。

 新幹線はリニアカーに変わり、音楽もイントロの余韻はカットされ、映画も倍速で観る時代です。手紙より SNSが優位になりました。僕のYouTubeの「愛もムダ?」で僕はムダに中にこそ人間性が宿ると語りました。

 「取れない球だから追わない」これは A I ロボットに、とって変わられる思考法です。向こうの打った軌道と速度を測り、自分の位置と自分の走る距離を計算すれば、結論からいえば「走るだけムダ」「スラインディグしても間に合わない」となります。この思考はムダな勤労で汗をかくことを辞め、いかに不労所得を稼ぎ出すのかが理知的な時代です。

 また愛しても別れるなら、そんな愛はムダな時間だったと結論づける。子どもを育てても教育費用の金額を試算すると産まない選択になり、やがて「どうせ生きていても死ぬのだから、なんで生きているの?」にまで進行してしまいます。我々は動物史上、初めて自ら命を絶つ生き物のホモサピエンスです。結論に目を向ければ、人は死ぬのが運命です。でもプロセスからすれば、生まれてきたのも事実です。たとえ死という結論が決まっていても、その運命に逆らって、わずかな可能性を信じて全力で走るから、人は美しい神話となる可能性があるのです。「感動」という漢字はあっても「理動」という漢字はありません。そんな合理的な結論至上主義を、ぶった斬ったのが今回のWBCでした。

 日本初の国外2世選手のヌートバー選手がサムライになるためにスライディングキャッチをし、自分勝手と言われたダルビッシュ選手が、最初のキャンプから参加し、食事会を開催して若いチームを盛り上げました。イタリアとの準決勝から4番打者になった吉田選手が、リードを許したイタリア戦で、絶対に打てないボール球をすくい上げホームランで跳ね返し、決勝戦では、苦しみ抜いた村上選手が185キロの最速のホームランを見事に放ちました。最後に大谷選手が二刀流として打者から投手になり、ドロドロのユニフォームでマウンドに立った姿は「感動」とは何かを教えてくれた。試合後も佐々木投手はデッドボールを投げた対戦選手に、お菓子を持参し再度謝り、その結果チェコの監督が日本を大絶賛しました。ムダを排除する時代に、どの国のチームも、どの選手もムダな存在などないことを証明したのが、今回のWBCでした。そこには現代の日本人が忘れかけていた一生懸命というロマンが輝いていました。 


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心理カウンセラー衛藤信之
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