今、願うことが未来をつくる

   

 学校も始まり子どもたちも寒い中の登校です。マフラーをして、手袋をした変わらない町の風景に安らぎと幸せを感じさせます。

 あの小さな背中に投げかけられる言葉が、優しい言葉であることを祈るばかりです。
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 どんな言葉を、あなたは幼い時に投げかけられましたか? そして、それをどう変えて、今のあなたは幼い誰かに投げなおしていますか?

 「お前はダメだな〜」を「お前なら大丈夫だよ」
 「また、やったのか、成長しないな」を「そのうちに、きっと上手になるよ」
 「あきれたね」を「信じているよ」
 「ダメなものはダメ!」を「やってごらんよ、結果が楽しみだ!」

 あなたが大切な誰かに過去に投げられた言葉を、そのまま送球していませんか?

 あなたから未来を変える変化球を投げましょう。

 「この子はダメだわ!」とあきらめないで。子どもは親がダメと思えばダメになり、きっと「この子は大丈夫」と思えば、大丈夫な子どもに成長するのです。

 教育は「溶けてゆく雪だ」と僕の子育てのクラスでは話しています。雪は、最初は路面に落ちてはサラサラと消えて行きます。でも、やがて消えて行った雪たちが、路面を冷やし続け、路面の雪が溶けない準備を始めるのです。やがて溶けた雪たちによって路面が冷え、目に見える形で雪が積もってゆく。もし溶けてゆく雪が存在しなければ、雪は永遠に積もらないのです。

 だから、今日、あなたが言った言葉も、子どもには溶けて消えてゆく雪のように思えてしまいます。でもあきらめないで信じて下さい。子どもは心の奥底ではきっと準備を始めているのです。しっかり子どもの心に「教え」は降り積もってゆきます。

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  そのいつかの準備のために親は、今日、子どもに語るのです。それが教育です。
 
 それはいつですか?それは僕にも親にもわからない。だから、子どもの教育は「タイマーの見えない時限爆弾」です。それがいつ破裂するかがわからない。大人になってからかもしれないし、その子が自分の子育てをスタートする時かもしれません。いや、親が亡くなった後かもしれません。でもそれが教育の面白さでもあるのです。だから、親はそれを信じて教育という名の時限爆弾を、願いを込めて伝え続けるしかないのですよ。いつか破裂しておくれ!と…

 <お弁当>

 もし時間が巻きもどせるなら、お母さんが生きていた頃にもどり、お母さんと一緒に台所に立ち、煮炊きのコツを伝授してもらいたいと思います。

 大学を卒業して社会人になっても、家事を手伝うどころか毎日のお弁当をつくってもらっていた私。あきれ果てながらも色とりどりの見事なお弁当を用意して渡してくれたお母さん。「不器用なの」「忙しいの」を理由に、キッチンに向かおうとしなかった私。「詰めるだけでいいように用意してあげるから」を、幾度も声を投げかけてくれたお母さん。その度に話題をそらして逃げていた私。責めることもなく、しょうがないなぁとあきらめて、それでも翌朝にはプロ顔負けのお弁当をきちっと用意をしてくれたお母さん…

 いい加減、親離れさせなければと、お母さんがお弁当作り返上を言いだした時は「安月給」を理由におむすび作りを要求した私。きゅきゅとむすんだおむすびは、具も梅、おかか、鮭はもちろん、高菜巻き、天ぷら入り、角煮入りオムライス風とバリエーション豊かでした。怒っているんだか、楽しんでいるんだか「毎朝、大変なのよ」と言いながら作ってくれたお母さん。職場の人も目をみはるほど素晴らしいおむすびでした。

 「おむすび、用意してないの」倒れた朝、お母さんが私に告げたセリフです。自分の体調よりも、私のおむすびを心配していたお母さん。ごめんなさい。お母さん以外の人が作ったお弁当が食べられない私です。お母さん以外の人がにぎったおにぎりが食べられない私です。

 やっと自分でお米を研ぎ、ご飯を炊き、生きていける程度のメニューを作れるようになりましたが、お母さんがいる時に習っておけば良かったと、お鍋をふきこぼしながら、今日も台所に立っています。

 お弁当も、毎日、どうにか詰めてもっていっています。「防腐用には梅干しを」とか「煮物は濃いめに」とか、お母さんのアドバイスを思い出しながら…お弁当は知恵の宝庫ですね。でも簡単なようで、やっぱり難しい。毎朝が試験です。

 おむすびもあつあつのご飯でむすぶのは、手がやけどするようで、お母さんはよく毎朝むすんでくれたものだと、今更ながらびっくりしている始末です。天国行きの宅配便があればいいのにね。いつでも成功品を食べてもらえるのに。
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 不器用な娘の味見をしては「どう?」と見上げています。一歩ずつ、お母さんの味に近づけるよう、空を見上げています。お母さんの娘だからめげないの。「おいしい」の声がいつか聞こえますように。

 天国への手紙より

 そうなんです。教育は結果が見えないだけに根気が問われます。だから教育は祈りに近いものかもしれません。すぐ願いが叶うなら誰もが祈ります。でも、教育という名の願いは、あきらめなかった人だけが叶うのです。それは根気です。根気は形を変えた愛なのです。 

 誰かを思う時、脳内のシナプスに電気が走ります。まるで「あの人」という星座があるように…誰かの中に、あなたの星座があるのです。あなたはどんな星座を子どもたちに残したいですか?イライラ星座ですか、笑顔の星座ですか、頼もしくて強い星座ですか。

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 あなたは、子どもの中にどんな星座を残しますか?

 

<<よければYouTubeも見て下さい。>>

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