ブラボー、三日坊主!

      2019/04/21

 ランニングをしても続かない。ダウン
 ダイエットをしても続かない。ダウン
 英会話を勉強しても続かない。ダウン

 続かない時に、人は「自分は三日坊主だ💦」と、落ち込みます。

 でも、落ち込んでいるという事は、僕はスゴイことだと思います。だって、やろうと何かを始めないと、落ち込みすら生まれないのだから。

 だって、何もしない日々を過ごしている人にとっては、それは画期的な一歩です。

 「私、三日間は走ったのだけど、四日目、五日目サボってしまって、六日目は走ろうと思ってシューズを履いたのですけど、走る距離を考えたら、今日はムリと思って、走らなかったのです」

 カウンセラーの思考だとこうなる。「えー、スゴイ、三日間も走ったのですか ⁈ そして、四日目、五日目は、ご自身で走れないことを悩んでられた、なんと、六日目は玄関まで行かれて、靴を履かれたですって ‼ スゴイ、すごい変化じゃないですか!だって、今までは『走ろう』なんて考えもしない日常を過ごしていたのに。素晴らしい、ブラボー ‼ 」となる。

 まさに、コップに半分しか無いと思うか、半分もあると、思うのかの違いです。

 それに、三日坊主のもう一つの側面として、いろいろなことに好奇心がいっぱいという側面もあります。

 その好奇心が、新しい発見につながります。

 一心不乱に何かを研究して、まい進し過ぎる人は大発見する可能性が少ないのです。

 話は変わりますが、アメリカのエール大学の図書館の蔵書は、最初は一千冊でした。これが、十六年ごとに倍増していて、これが今後同じ割合で増えていくと、2040年には、蔵書は2億冊を数え、書棚の総延長は6千マイル、そのカード目録は8エーカーの広さになり、毎年新規に入ってくる1200万冊のカード作りのために、6千人の司書が必要になるそうです。

 1750年代は、科学論文の雑誌は10種類しかなかったものが、50年ごとに10倍になり、1830年には約300種類となり、その頃にすでに誰一人すべての論文に目を通した人はいなくなったのです。目

 その科学論文を集めたレジュメの抜粋誌が登場しましたが、これも50年ごとに10倍で増え続け2000年には、3千種類を越えています。すでにそれすらも人の一生の読書可能範囲を越えてしまっています。

 ですから、大学では知識の細分化が起こったのです。それは一人の人間の能力では、専門分野を細分化しないと、その専門分野の進歩についていけないからです。

 その専門分野の数も全米科学技術者登録名簿によると1945年には54の専門分野しかなかったものが、現代は1200の専門分野があるのですから驚きです。叫び

 なので、誰一人世界の科学知識を、すべて知りえる人はいないのです。

 この情報の洪水でアップ、アップしている現代に必要なのは、三日坊主なタイプです。ひらめき電球

 そうです、その飽き性がイロイロとカジリながら、渡り歩いているうちに、それぞれを偶然に知識を連結し、大発見につながるかもしれません。もちろん「かも💦」ですよ。

 夏に忙しいミツバチコスモスだって、美味しい蜜のありかを知らせるのに、巣から飛んだ距離と方角を、仲間に8の字を書いて知らせます。

 その道筋は、巣から飛びたって、迷って、迷って、寄り道した距離もふくめて仲間に知らせるので、回り道の距離なのです。でも、真面目な働きバチ達は、その迷って、迷って、たどり着いた距離を、せっせと同じ道筋を飛んで蜜の場所にたどり着くのですから、やはり遠回りに違いはありません。ハチ

 でも、ミツバチの中にも、飽き性の、好奇心旺盛なハチがいて教えられた通りには飛ばないで、好き勝手飛ぶ三日坊主が現れます。それが、その蜜の場所を偶然に飛んでいるうちに最短で発見するのです。「えーッ!こっちのほうが近いじゃんひらめき電球」となる。

 それに、三日坊主も、一生続ければ、かなりの経験になるし、「三日坊主を一生続けました。ハイ!」は、すでに三日坊主とは言わない。

 それを一生続けたのですから、立派な一生坊主です。ギネスに認定されることも夢ではありません。

 カウンセラーの立場で言わせてもらうなら、人はそれぞれは誰でも三日坊主だと、僕は思っています。その好奇心旺盛のランダムな動きの中から、一生をかけても悔いがない何かクラッカーに出会えるものなのです。

 最初から「自分の命をかけても良いと思える何か???」を目指そうとするから結果、考え過ぎてしまって何もしないのです。

 だから、三日坊主万歳です。

 三日坊主も百回やれば、それだけで300日です。休みだの何だの入れると一年中、何かをアクションしていたのだから立派、立派!

 そう、問題なのは三日坊主を恐れて、いつもの日常に逃げ込むことです。それこそが安全パイを狙って、人生に何も無かった人なのです。

 「人生を生きるのは、日常の何気ない時間を、経験に置き換えることである」 =カレブ・カテージョ=



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