「おめでたい」ということ。

      2019/04/21

鏡餅謹賀新年鏡餅
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 2011年です。
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 クラッカーおめでたいですクラッカー
 でも、本当におめでたいのは、今日も一日が、当たり前のように始まるということ。そのために、地球がシッカリと軌道を進んでいること、だから、朝日はのぼり、季節は変わる。
 そして、身体のすべての機能が、とどこおりなく今も動いているということ。

 その奇跡の中で、僕たちは生きています。人々は記念日が好きです。誕生日に、クリスマス。そして、今日は普通の日と••••


 「日々これ好日」と雲門禅師が言いました。毎日を記念日として大切に生きることが大切ですね。

 僕の好きな一休禅師は、元旦の日に、シャレコウベドクロを竹の先に結びつけ、京の家々の門口で「ご用心なさい!ご用心なさい‼」と触れ回った。

 その頃、京の周囲では、飢饉がつづき、餓死者が急増し、百姓たちは、年貢を京の町に吸い取られ集められるので、さらに食えなくなる。だから、子供たちを奉公に出し、老人は姥捨山に捨てられていた。

 そのことに気づきもせずに、京の町では「おめでたい!」と浮かれている。

 その世間の無関心さと無情の世の、無情に一休は、悲しんでいた。

 シャレコウベドクロを指して「ここに元もと目があった、それが飛び出て、目出た!さじゃあ‼ 目が出て目でたい。目でたい」と叫んで歩いた。

 「門松は 冥土の先の 一里塚!」と一休は叫ぶ。

 あなたたちが「おめでたい」と言っている間に、無関心な世間の知らないところで、多くの不幸があるのです。そして、あなた達にも死は近づいているのですよ。ご用心なさい。

 ご用心なさい!ご用心なさい‼

 その社会の危機に直面している時に、何も言わない坊主(知識人)にも腹を立てていた。

 一休は、ある日、模造刀を腰にぶら下げ、京の町を歩いている。

 京の人々は坊主に刀というユーモラスな取り合わせに、思わず笑みをもらします。

 やがて人ごみにきた時に、ニヤリとして、一休は、模造刀をサヤから抜き出して木刀を高々と見せる。

 「なーに、皆の衆、今時の坊主は模造刀よ、こうやってサヤに収まっていれば、刀に見えるかもしれんが、抜き出してみれば、ただの木刀さぁ。これで人を殺すことなど出来ません」と、叫ぶ。
 「なるほど••••」と人々は感心して笑い声をあげるが、それが静まるのを待って、彼は厳しい顔でこう付け加えた「まして、人々を生かすことさえも出来ません」

 今の知識人も、テレビや新聞も、ただ世間の怒りをあおるだけで、誰もが代替案を言わない。動いた人だけが責められる。

 大徳寺に先師の法要に出かけたときに、きらびやかな法衣をまとった僧たちの中で、一休だけが、くたびれた法衣と、ワラ草履。さすがに今の師匠も、これには眉をしかめた。でも一休は胸を張って「私が本物で、着飾るもの達が偽物です」と言い切った。

 「この橋、渡るべからず」と立て札を無視して、端ではなく、真ん中を渡ってきたと、当時の権力に逆らったトンチ小坊主の一休。

 僕たちも「勝って兜の緒をしめよ」といいますが、浮かれている時に、隣国や隣人のことを祈りたいですね。

 そして、自分の日々の平和の奇跡に感謝して過ごす日にしたいですね。とくに今日は••••

 一年の計は元旦にありといいます。そう、今日、元旦の過ごし方が、この一年の姿勢を決めるということなのでしょう。

 でも僕は、元旦とは言わずに、普通の日々を一生の計にして生きたいと思います。

 インディアンのように、七世代先の子供達のために、僕達が「今」何ができるのかを•••••ただ、怒るのではなく、静かに話そう••••





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