静観

      2019/04/21

 水は高いところから、低いところに流れます。自然に逆らうことは出来ません。

 

 

 眠れない時には、眠れない状態を受け入れるしかないのです。でも、不眠で苦しむ人は、その自然な流れを変える苦労をし、自然のリズムを無視して、あれこれ眠る努力をします。すると、さらに眠れなくなるという悪循環に巻き込まれてしまうのです。

 心も同じです。前向きな時もあれば、後ろ向きな時もあります。その時に「前向きが大切だよ!」と誰かに言われると、前向きになれるようにもがいて、それでも前向きになれない自分をさらに嫌いになってしまいます。

 人生はワクワクする時もあれば、イライラする時もあります。ですから、ワクワクな時の自分が正しいと思って決めてしまうと、イライラしている自分が嫌いになってしまいます。

 だからこそ、自然な感情を受け入れること。それを森田療法の創始者の森田正馬先生は「ありのままの感情を否定しない。感情と戦わない。」ことが、心が病気にならない方法だと考えました。
 
 剣豪、宮本武蔵が勝てないと思ったら「スタコラサッサと逃げろ」と晩年は教えたと言われています。それも同じ発想なのです。剣豪であらねばならぬとムリをして戦い、負けてしまっては、剣豪ではなくなってしまうからです。

 ですから、人として「前向き」で「元気であるべきだ」と努力すれば、そうなれない自分自身を好きになれなくなってしまいます。

 剣豪は強い人、人は前向きな人生こそが素晴らしい。と、決めてしまうと、逃げる自分はダメな人、「後ろ向きな考えは最悪だ〜」と、世界を「善と悪」に真っ二つに区切ってしまい、生きることが苦しくなります。 

 

 

  森田療法の言う「ありのまま」は、人は善の時もあれば、悪の時もあることを受け入れましょうと言っているのです。そう、前向きな時もあり、後ろ向きな時もある。それが普通の感情です。  

 これは、もちろん開き直れと言っているのではありません。  

 人生を生きるのに、向上する努力は必要なのでしょう。ただ、自分のペースで、一歩一歩でしかないのです。人のペースに合わせたり、人の普通に合わせて苦しむ必要はないのです。THE BEST(完全版)ではなくMY BEST(やれる範囲で…)が自然なのです。  

 僕自身を考えると、前向きな時もあれば、前向きになれない時もあります。強い自分と弱い自分が共存しています。それを認めれば、人は謙虚になれます。

 なぜなら、同じような感情を持った誰かを「正義」という片側だけの刃で攻撃し、裁かなくなるからです。言葉は双刃の剣です。

 


 つまり、自分の中に前向きな時もあれば、そうなれない時があることを知っていれば、身近な人にも、前向きになれない日も、ゆとりがない瞬間もあることを認め、そして受け入れなければなりません。

 どんな人にも完ぺきはなく、まだら模様の感情があることを認めることができなければ、相手を裁いて攻撃した言葉で、自分も裁いてしまうからです。もし、自分のことは棚に上げて、他人を「正義」だけで裁く人は、とてもズルい人か、自分自身の心の中を、よく知らない人なのです。  
 
 聖書にあります。「汝、裁くなかれ」と…「その測り(正しさ)で、自分が裁かれないためである」と書かれています。  

 角界の「力士のかわいがり」or「力士のイジメ」の問題が、テレビで話題になっています。ある番組でコメンテーターの一人が言いました。「これではさぁ、子どもが相撲部屋に入る。となった時、周囲が『辞めなさい』と止めますよね」それに続いて「僕は相撲が好きだけど、もう、限界です!ファンを辞めたくなりました💢」と、すぐ感情的になることで有名な司会者が、怒りをあらわにする。

 彼も子役時代から生き残ってきた立派な役者のひとり。僕は考えた「彼は決して感情的になったり、劇団の人間を怒鳴ることはないのだろか?」と…それだけテレビで立派なことを言い切ってしまえるのだから。

 僕自身はイジメは決して良くないと思っています。

 誤解を怖れずに思ったことを書くと、角界、そのきびしい独特の世界の中で「きっと、イジメた兄弟子たちを、いつか追い抜いて、奴らを見返してやる」と、砂をかみしめ、きびしい世界で生き抜き、頂点を極めた精鋭の力士の気迫ある取り組みを見て、人々は神技だ、国技だと熱狂するのも、相撲ファンの一面ではないのだろうか? 

 

 

 これからも「僕は兄弟子に殴られた」と訴え、部屋を離脱した弟子たちは出てくるだろうと思う。前後のいきさつを知らない人びとが、ただ、常識だけを剣に、それらを完全に取締り、穏やかな相撲界の未来に、人びとは感動をするのだろうか?とも思ってしまう。

 そんな意見はあってはいけないのだ、このスタジオの中では…

 人びとの正義の目にさらされて、未来の角界は洗練された美しいショーのような世界になるのかもしれない。その時、悔しさと苦しみをくぐり抜けた者たち、頂点に登りきった覇者の戦いに、迫力を求める相撲ファンは、その時に何を感じるのだろうか?  

 次にコマーシャルの後に、ある野球監督の妻の葬儀がしめやかに映像には流し出されていた。このテレビ局も、かつての昔、この監督の妻がいかに悪妻で、周囲に迷惑をかけ、この奥さんを嫌っている芸能人にインタビューしては、連日放送をしていたこともあったはず…まるで、そんな過去の事実など、何もなかったかのように…角界のイジメを語った後には、自分たちは人を攻撃したり、イジメたりすることなんかないのだと言わんばかりに…

 そして、お葬式の映像の後には、先ほどまで感情的に怒っていたコメンテーターたちが死を悼む、悲しい表情がテレビに映し出される…まるで「善」も「悪」も、自分たちには存在しないかのように。

 こんなことを考えている僕も、誰かを裁いている。 それが僕にはわかっているから、BGMのように「正義💢‼」だけを、大音響で流される世界で、僕はひとり黙り込んでしまった、沈黙こそが唯一の救いのような気がして。

 その時に、この詩だけが僕の心に流れていた…      
                              
     二人が睦まじくいるためには 
     愚かでいるほうがいい
     立派すぎないほうがいい
     立派すぎることは
     長持ちしないことだと気付いているほうがいい
     完璧をめざさないほうがいい
     完璧なんて不自然なことだと
     うそぶいているほうがいい
     二人のうちどちらかが
     ふざけているほうがいい
     ずっこけているほうがいい
     互いに非難することがあっても
     非難できる資格が自分にあったかどうか
     あとで
     疑わしくなるほうがいい
     正しいことを言うときは
     少しひかえめにするほうがいい
     正しいことを言うときは
     相手を傷つけやすいものだと
     気付いているほうがいい
     立派でありたいとか
     正しくありたいとかいう
     無理な緊張には
     色目を使わず
     ゆったり ゆたかに
     光を浴びているほうがいい
     健康で 風に吹かれながら
     生きていることのなつかしさに
     ふと 胸が熱くなる
     そんな日があってもいい
     そして
     なぜ胸が熱くなるのか
     黙っていても
     二人にはわかるのであってほしい                   

                   《 祝婚歌 》            吉野  弘

 

 

 

 



 

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