夏の終わる頃になると…

   

 夏休みが終わると、子どもたちの心にはさまざまな表情が浮かびます。
 新しい学期を楽しみにする子もいれば、教室へ向かう足が重くなる子もいる。
 「どうして勉強しなければいけないの?」
 「自分はここにいていいのかな…」
 そんな思いを抱える子が、実は少なくありません。

 ある中学生A君がいた。

 心はいつも大人びていた。学校の先生である父の書物に幼いころから親しみ、本を一人読むのが好きな子どもだった。だから少し大人びたところがあり、ゲームやネットの話で盛り上がっている同年代との会話にも気後れするところがあった。

 ある時に、A君は先生に質問した。「なぜ、人は学ぶ必要があるのか?」「将来に必ず役に立つからだ」と先生は答えた。「でも、その時代ごとに事実は変わるのでは?絶対に正しいとは言えないのでは…」これは先生にすると反抗と見えたのかもしれない。先生は声を荒げて言った。「成績が少し良いからと、何のアピールだ!」教室は静まる。
 「すいません」と言ってA君は着席した。

 彼は家に帰った。そこに母親がパートで出かけていた。がらんとする狭い部屋なのに、A君には、おそらく恐ろしく広い部屋に見えたかもしれない。窓を開けると夕陽と幼い頃から過ごした町並みが見える。

 ただ、そこから見える世界は、大きく成長した彼には空虚に見えたのかもしれません。

 彼は、次の瞬間に、窓の向こうの世界にダイブした。もう戻れない世界へと…

 彼がその窓から見たものは何だったのだろう…


 ただ、真実の答えがわからないまま続く長い未来。
 教室という世界からしか見ることのできない、永遠に空虚な世界なのか。

 人がこの世を去る時に、いろんなものが重なってしまう。A君とてそう。もし彼が早熟でなく、単純に子どもの世界でふざけることができたら。

 先生が「ステキな疑問じゃないか?この授業中には答えることができない深い質問だから、あとで時間をかけて一緒に考えよう!」という反応だったら。

 身体は子どもでも、心が大人になりかけているアンバランスの時期に、彼と語り合える誰かが一人でもいれば。

 学校から傷ついて帰った時に、その傷を癒してくれる、お母さんの優しい声かけがあったらと…。



 この新学期の時期は、若年層の命を絶つ悲しい事例が2倍以上になる。子どもの不登校、引きこもり、蝶々になるサナギの時期は硬い表皮に覆われる。そのサナギの表皮の中はドロドロだという。

 人生100年時代に2〜3年、サナギのようにドロドロになっても良いのではないか…

 やがてその子たちのペースで蝶々になり、羽を広げて大人へと変わっていく。

 もちろん、大人の我々だって、窓の遠くの未来に目を向けると、生きることに “めまい”  を起こすこともある。それは、遠くを見るほどに人生は不安で霞んでしまうものだから。
 大切なのは「まずは今日を生きる」ことに集中すること。

 僕も教室は三人からスタートし、それが卒業生の多くが活躍している団体になった。「そうなれるかなぁ」と思ったことはなく「今日も、あの人たちに会いたい」と思った延長に「今」が隠れていたから。

 だから、ただただ、あなたは今日のことだけを考えて生きればよいのだ。
 そして、今日も「お早う!」と、あなたに言えてありがとう。

 「こんにちは」「こんばんは」「おやすみ」と言えることだけで、僕は心より、あなたに感謝です。今日も「新しいあなたに会えてありがとうございます」。

 与謝野晶子ではないが、僕も思う。「君死にたもうことなかれ」と…。

 夏の終わり、心がざわつく季節だからこそ、「おはよう」「こんにちは」「おやすみ」と言葉を交わせる日常の奇跡を、どうか大切にしてほしい。
 その一言が、誰かの命を今日につなぐ力になるかもしれません。

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心理カウンセラー衛藤信之
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