「五月の歌」

   

  

 朝、窓を開けた時にフワッと香る優しい風…

 

 風薫る五月…

 

 

 

 この月の空気は、どこか懐かしくて、ちょっと切なくて、でも確かにどこかに希望が隠れているような季節です。

 

 そんな季節だからこそ、心も優しくなりたいものです。

 

 この時期は谷川俊太郎さんの「“この詩”」を僕は思い出します。

 

  

「五月の歌」

 

神さまがお許しくださる月

あのひとを愛してもよいと

青空の瞳やさしく

私を見つめなさる月

 

ババロアが揺れている月

花の木の下に座って

心臓のアレグロに耳をすまし

私が新しい私と待ち合わせする月

 

家々に森があり

森に海があり

海に砂漠があり

すべての歴史に重なりあう月

 

かもしれぬ月

ほんとうにあのひとを

愛してしまうかもしれない月

永遠のMAY

 

 

「魂のいちばんおいしいところ」より

 

 

 ババロアのように揺れる心で、音楽用語のアレグロ(早く、陽気に、快活)で、胸の高鳴りを感じるワクワクする恋の季節。

 

 私が新しい私と待ち合わせする月。

 

 人は誰かに恋するたびに、新たな自分と出逢います。

 

 

 

 

 それぞれの家庭には、外からは見えない(森)未知や深淵があり、その人たちも集合無意識(海)では、誰かとつながりを求めています。でも現実の世界は(砂漠)のような乾きや孤独が横たわっています。

 

 そのように宇宙は、美しさの中にも、揺らぎが存在しています。

 

 でもMAYという月は、神さまが「あの人を愛してもよいと」許してくれる月だと…それは錯覚なのか、運命なのか誰にもわからない。

 そうやってドラマは歴史の中で重なってきた…。

 

  

  

 

 現代は、おぼろげに見ていた美しい月(Moon)を、僕たちは巨大なレンズを向けて「穴ボコだらけの丸い土の塊だ!」と見抜いてみせた。

 誰かの心のグラデーションも、世間というレンズは「白」と「黒」に分け、関係のない人が誰かを裁いていく。

 

 やがて、それは自分の中にも、レンズを向けて白と黒で裁いてしまうことになるのです。

 

 もしかしたら、完璧な人など存在しない「かもしれない」

 もしかしたら、自分も間違っている「かもしれない」

 もしかしたら、そんな自分を許してあげていい「かもしれない」

 

 それをMAYという月は「それでもいいよ」とそっと背中を押してくれる不思議な月でもあります。

 

 

 

  

 MAY=かもしれない BE=在ってもいいということ…

 

 だから、この季節はこう言ってみたい。

 

 MAY BE わたしのままでいい…

 MAY BE 失敗してもいい…

 MAY BE 揺れててもいい…

 MAY BE 誰かを想ってもいい…

 MAY BE 傷つき泣いても笑ってもいい…

 

 神さまが許してくれる月。だから、この5月は「何者でもない私」と静かに手をつなげる季節です。

 

 MAY BE グラデーションはグラデーションのままでいい…

 まだ定まらない「“今”」を、そのまま受け入れて前を進もう。

  

 

 

 

 MAY BE ,it’s okay. 

 MAY BE ,that’s enough.

 

 

 

 この「永遠のMAY」の季節に、

 人のことよりも、今日もまた、新しいわたしと、待ち合わせしてみませんか…

 

  

  

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心理カウンセラー衛藤信之
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