悲しみ依存症

      2019/04/21

 「最悪」「悲しい」「不幸」「自分だけが」と言って嘆いている人が親切なカウンセラーに出会う。
 いくら、カウンセラーが手を差し伸べても、現状を「なげくばかり」で、色んなアドバイスをしたとしても人生を前に向かわせない。

 「私はこんなにツラい」と訴えるばかりで、解決の決断をしない。

 フロイトは、人生を失敗する人は「いつも悩みたがる」と書いています。こういう人は時間が「ある過去」で止まってしまっています。

 人生の時間は限りがあり、この悩んでいる瞬間にも、人生の大切な時間が流れていることを知識としてわかっていても、感覚としてわかりたくないのです。

 それは、周囲が「大変ね」と同情し、関わってくれることに意味を見出しているからです。だから、誰かの援助を求めています。そして、自分の思うようにならない現実や世界を恨んでいます。その人にとって「こんなにツラい」「苦しい」と言うことが、無意識の中で唯一のストレスのハケ口になってしまっています。簡単に解決してしまうと困るので、アドバイスは耳で聞いてはいても、心からは聴いていません。相談者の心に届かないのです。

 多くの心理学者は「私は不幸だ」には、受動的な攻撃性(passive aggressiveness)が、隠れていると言っています。なげき癖がある人や、うつ病患者の中には「ツラい、ツラい」と訴えるだけで、悩みを解決するための行動は起こしません。「私は苦しい」と訴え「誰も私を助けてくれない~」と、周囲(社会)を攻撃していると言うのです。

 井戸の中に落ちている人にロープを下ろしても、本人はロープをつかまない。「ロープが見えない!」と訴え続けています。
 それはロープが見えないのではありません。依存が強いので、無意識の中で「あなたが井戸に降りて来て、私を持ち上げてよ」と丸投げの心理が隠れています。心理的に母子一体感で幼児性のあらわれです。

 「なげき癖」のある人の特徴は、周囲に見捨てない母親を求めています。ですから、うつ病患者の特徴は「依存」と「不機嫌(無意識の攻撃性の抑圧)」です。そのため、うつ病患者はちょっとした他人の言動で、気分が上下に浮き沈みしてしまいます。

 ここで、幼児性の心理とは「夏休みが終わる、もう、終わる~よ」と言いながら、宿題を終わらせる行動はとらないで、悲しみ、泣くことで、誰か(親や周囲)が、根負けし手伝ってくれるのを待っている状態の心理です。

 なげき癖のある人は「ズーッと悩んでいます」「色々な相談に行きました」と訴えます。「私の問題は単純ではないですね」と、誰かに認められて心配してほしいのです。

 そこに、さらに「自己卑下の心理」がからむから厄介です。

 「僕なんか生きていても価値がないから」「どうせ、わたしはこんな人間だから」と自分自身を卑下し始めます。そう言われると、周囲の人は「そんなことはないよ」「君には、こんなところがあるじゃないか」「こう考えてみたらどうだろうか」と多くの人は言ってくれます。なぜなら、誰もが落ち込んでいる人がそばに居ると、多かれ少なかれ「なんとかしなきゃいけない」と罪障感を感じるからです。このように周囲に申し訳なさを感じさせるtypeのキャラクターをアドラーは「攻撃的悩み」と呼びました。精神科医のカレン・ホーナイは「神経症的愛情欲求」とも言っています。

 こういう人は、心から自分を卑下してはいません。

 その証拠に、その自己卑下タイプの人の横で「そうだね、君は価値がないよね」とか「本当に、君はダメな人間だよね」と言ってみて下さい。その人は不愉快になって落ち込むか「ヒドい!」と言って泣き始めます。

 かくして「お助けゲーム」をする優しいカウンセラーと、悲しみ依存症の人は、鍵とカギ穴のようにシッカリと、からみ合います。メンタルを卒業したカウンセラーにも、このゲームに苦しんでいるカウンセラーが少なくありません。

 何よりも、悲しみ依存症は、ロープをつかまないだけではなく、即効力のある魔法のように、努力のいらない解決策をいつも求めています。ジャクと豆の木のような魔法の豆を周囲に求めるのです。

 何事も「Mr. 時間」という存在を味方につけないと、どうしようもない事があります。 栄養を与え、水をやり、変化を待つことが、自然の流れです。でも、それをすっ飛ばし、植えた瞬間に、明日にも、天にも登れるような問題の解決策を求めます。

 うつ病の特徴として「結論をあせる傾向」があります。

 アドラーも落ち込みやすさの特徴として「hypersensitiveness」超敏感質と「impatience」待てないという、二つの特徴をあげています。

 気になり出したら、そのことに囚われてしまい、様子を見るとか、状況や時間の推移を待つことができません。アセって、いろいろと策をめぐらし、大騒ぎして、その結果、問題が解決する糸口すら、もつれさせてしまうのです。

 こうして「私は簡単には解決できない」と泣き叫ぶ相手に、優しい心理カウンセラーの相関関係が出来上がります。

 このような心理カウンセラーも「早く解決しなければ」と焦りがあります。「早く解決しないと自分はダメなカウンセラーになる」という思いにせかされて、苦しむtypeのカウンセラーが多いようです。

 だから「私は誰も救えない(あなたなんかに解決できないのよ!!)」と攻撃しながら、前を向かない「悲しみ依存症」の人にしがみつかれてしまう。相手を助けようとして、一緒に深みに沈んで行くのです。

 こんな場合、カウンセラーとして、気づかないといけない。嘆いているのにどうして相手は前を向いて動こうとしないのか?
 「苦しい」「ツラい」と言いながら、どうして、解決する意思を本人は見せないのか?

 泣いていて、落ち込んでいて「大丈夫?」と声をかけてくれるのは親です。親が子どもを愛しているから慰めてくれる。

 「ツラい、苦しい、自分は価値がない」と言われ続けると、普通の人間関係では、いつかは誰もが逃げてしまう。過去の苦しみにしがみついて「今」を生きようとしない人には、普通の人は去っていってしまう。

 幼児性が強いから、誰に対しても「親代わり」を求めてしまう。

 「私は生きることを楽しんでみます!」と言ったほうが、聞いていて誰もが清々しいし、明るい気持ちになる。それをしないのは、周囲のことを考えていない。相手の気持ちに無関心になって、周囲の出来事にイラだち「自分だけの過去」に生きています。ある意味で自己中心的なのです。相手に無関心と言えば言い過ぎかもしれないけど、僕 はそう思っています。

 「幸せなこと探してみます」と、言ったら、人は笑顔になるし、そのほうが好かれる。でも、悲しみ依存症の人は、周りが同情してくれることにしがみつく。好かれようとして、嫌われる。泣いて注目を集め、周囲を心配させて振り回す。悲しみながら、好かれようとするから、周囲は去って行く。

 自分は「特別に悲しい」と訴え、周囲にいる親代理の誰かが、かまってくれることを、いつも求めてしまうのです。何よりも自分の悩みを優先するのが、相手の心に対しては無関心な証拠なのだと思うのです。

 有名な心理学者、G・ウエインバーグは、抑うつ期の人に、こうアドバイスするそうです。

 「ある一定の期間、自分の問題について話すのをやめること。まず、一日やってごらんなさい。それから一週間。もし、不平を言うのをやめると、あなたは、自分自身について重要な発見をするかもしれません。抱えている問題を話すことは、しばしば抑うつな気分を刺激します。あなたが不平なことしか、しゃべらないから、あなたの人生はすべて不平以外のことは、人生に何もないと思ってしまうのです」

 アドラーは「うつ病になる人は、毎朝、人に喜びを運ぶことを考えなさい」とアドバイスをしました。「そうすれば、あなたのうつ病は、二週間で治るでしょう」とアドラーは断言しました。

 うつ病になる人は、周囲のこと考えないで、自分の悩みの世界だけにひたっている。すべては自分の悩みだけを優先させてしまう。

 僕は思います。泣いている時間、空を見よう!「楽しいことは世界に、きっとある!」と人に呼びかけ、誰かに援助を与えよう!

 悩んでいる人は空を見ない、草の中のクローバーを探す気にもならない。風のそよぎが頬にあたっても感じることなども数年忘れてしまっている。



 楽しいことは、あなたの世界にも、きっとある!




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