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焦点が変わると・・・

東京校  木下 淳子さん(40歳 女性)

 

結婚してからずっとこれまで、引っ越しを繰り返してきました。

一年二年ごとに、命ぜられるがままに。

いつもなんだか長い旅の途中のような、そんな感じでした。

夕暮れに買い物に行くと、私はどこにいるのやらと、不思議な感覚によくなるのです。

 

同じ場所に長く住んだら、そうではなくなるのかな、落ち着くのかなと思っていましたが、今の土地に8年と少し腰を据えましたら、なぜだかもっと落ち着かなくなってしまったのです。心が。

 

その心も、ずっと旅ばかりしていました。

過去に向かってずんずん走っては転び、

未来にはいつでも妄想ジェットコースターで飛んで行き、怖がっては、

穴に身を潜めじっとじっとじっとして、

モグラになってなにも感じないようにしてみたり・・・

 

メンタルの講座で、衛藤先生がおっしゃった、『今ここに』

いつもいなかった、私です。

 主人はどこに行っても、仕事場の対人関係でトラブルを起こします。

 本人はトラブルとは思っていないようで、仕事をきちんと遂行するために、不誠実なことをすると彼が感じた人間を、とにかく糾弾するのです。

 

 主人は医師ですので、それだけ真摯に立ち向かわなければならない仕事だと思いますし、家族を犠牲にしてでも優先させるべき仕事というのもよくわかります。

 

 主人はそれはそれは真剣に患者さんに向き合います。お年寄りが多いので、じっくり付き合い、入退院、往診をしながら 余計な医療をせずに老いていく身体をゆっくり横たえて穏やかに看取っていく経過を、丁寧にご家族にことも踏まえて進めていく人なのです。

 その仕事のしかたは信念があって、私はりっぱだなと尊敬しています。

 

 でも、その仕事仲間がその意に反して無神経だったり手を抜いた日には・・・

 もう大変です。

 目上の人であろうが、立場が上のひとであろうが、

 徹底的に抗議するのです。

 それによって、仕事場はぴりぴり。

 雰囲気が悪いと苦情が出ますが、当の本人は、雰囲気のために仕事をしているわけじゃない!と、聞く耳を持ちません。

 

 そんな主人ですので、家にはほとんど居ません。

 食事もいつ摂るのかわからずに、夜中にご飯を炊くこともしばしばです。

 それでも私は、平気でした。

 どちらかというと、そうすることが好きでした。

 主人の役に立っているということが嬉しかったのです。

 

 私の父は、主人のいた大学で働いており、いつも応援していました。

 父は私が結婚するときに、「どんなところで働こうとも、いっしょに苦労してきなさい」と申しました。それだけその志の学生さんを大事に思ってきたのだと思います。

 

 自分が直接手をださずとも、人を介して役に立つことがあると、父は学生さんのためにいろいろなことをしていました。

 私もそれを見てきましたので、主人の仕事のためならなんでもしたいと思っていました。

 田舎の診療所のときには、とにかく地元の人との関係を私がつなごうと、はりきりました。

 ええ、もうべったりです。

 

 『君子の交わり淡き水のごとし』 

 

 健全な大人のふれあいについての話を衛藤先生から聴いたときには、

 ああなんて、私は不健全なのだろう。

 水どころか水飴で。べたべたべったりまとわりつき、

「それで?おいしい? おいしいでしょ? おいしいって言って?」

 と、相手が喜んで、しかも感謝してくれるはずと信じて疑わない、まるで母親みたいだわと愕然としました。

 鬱陶しいにもほどがあります。

 

 『離別感』 がまったくなかったのです。

 

 そして、トラブルを起こしてきては家でも愚痴を報告する主人を、子どもっぽいとさえ思っていました。
 でも、講座を聴いていて、ふと感じたのです。

 

 主人はたしかに子どもっぽいところもあるけれど、責任を全部背負って、孤独になろうとも信念を貫き、患者さんに真摯に向き合うところは、私よりはるかに大人なのではなかろうか。

 

 そんな人を、私は変えようと思っていました。
 傲慢なことですね。
 もちろん変わって欲しいとは願っています。
 もっと仕事場で安心して仕事をして欲しいとも 思っています。
 でも、それは主人の生き方で、私が口を挟むことではないことに気がつきました。

 

 それに、主人こそ私に変わって欲しいと願っているのかもしれません。
 私は結婚を機に仕事をせず、転々としながら不妊治療をしていました。
 そこからすっかり自信を失い、思えばその負い目もあって主人に尽くしていたのかもしれません。
 不妊治療を諦めてからはもっと暗くなって行きました。
 主人の心が離れていったのも、その頃かもしれません。

 

 嫌な噂を耳にする度に、私がここにいる意味がわからなくなって行きました。
 どんどん穴をほって潜って行き、じっと息をひそめていました。
 モグラ期と今では呼んでいますが。

 

 それでももがきつつ、何かを始めようと動きだし、カウンセリングに行ってもみました。

 

 思えば、ひらめきがあったのに気がつかなかったのかもしれませんが、ずいぶん前に、「あなたカウンセリングなんて向いてると思う」と、知り合ったばかりの人に言われていました。

 

 そのころは自分の心で精一杯なのに、人の話を聴くことなんて考えられないと思うのみでしたが、今年に入って受けたカウンセリングでやはり「カウンセリングの勉強してみたら?」と言われたのです。

 

 それでも心は動きませんでしたが、でも、ある日ふと見たサイトで、衛藤先生のことを知り、動画を拝見したらすぐに体験ゼミナールの申し込みをしている自分がいました。

 

 そうせずにはいられなかったのです。不思議ですね。 
 人を分析することなく、自分の心に焦点をあてること、これから幸せ生きていくために、通うべし!と。

 

 家からメンタルに行く時間は、まだまだ心が旅に出ていることが多いのですが、
 銀座のビルのキレイなネオンのキラキラが目に入ると、目線がぐっと上がり、
 講座を受けて帰るころには目からこぼれた鱗を拾い集めなくちゃと床を見るくらい、老眼が始まったのに、冴え冴えとしてきます。

 

 何かできそうな気持ちになり、犬を連れてきているときには、ものすごい笑顔で表参道を夜中に散歩している私がいます。

 

 衛藤先生の言葉には、愛がありますもの。
 それはどことなく、亡くなった父に似て、大きな愛です。。。

 

 私の父は、外国からやってくる留学生も大事にもてなしていました。
 もしこの青年が日本を好きになったら、その国から戦争しようと思わないだろ?と、真剣に笑っていました。

 

 人の心が地球を救う勢いでした。そんなことを先生の言葉を聴きながら思い出し、涙が止まりませんでした。

 

 父は主人のことが大好きでした。
 まさかその日に亡くなるとは思わなかった日に、ちゃんと主人は間に合い、不安な夜をすべて引き受けて付き添ってくれました。看取ってからまた仕事に帰って行き、お通夜に戻ってきてくれたときには、鯖寿司を持ってきていました。 

 

 父が元気な頃に私の家まで車で来てくれて、帰る時に家から見送るのが切なくて、京都まで私が運転をして向かうことにしたら父が喜んで鯖街道を走りながら鯖寿司を食べる!と丸ごと一本食べてしまったことがあり、私の密かな大事な思い出でした。それを主人は覚えていてくれたのです。
 お棺にそっと入れてくれました。
 主人は主人なりに、優しくしてくれていたのかもしれませんね。
 それを感じることを私は忘れていました。

 

 衛藤先生が先日の講座で、みなさんはすでに変わってきてると思うとおっしゃっていました。楽しく通っているだけで、変わっているのだろうかと実感がなかったのですが、変われそうな予感といいましょうか、その方向に向かっていこうとしていることが、わかりました。

 

 どんなときでも、その中で感じられる幸せがあること。
 それを少し見つけている自分がいます。

 

 夕暮れになぜここにいるのやらと思って居た私が、
 夕暮れの海に犬と歩いていて、こんな美しい景色を犬と歩いているなんて、
 私も家族もみんな元気にしていて、
 こんな風に犬と海をみていられるなんて幸せなことだったと、
 なんだか涙がこみ上げてくるのです。
 まわりからみたら、怪しげな散歩ですけれど。

 

 そして、
 講座に文句も言わずに通わせてくれている主人です。
 先日は、置いてきた犬を夜中に海まで散歩させてくれたようです。
 自分のためには決して歩かない人ですが、そんなことするんだぁとおかしくなりました。

 

 またある日の夜は、近くのパスタ屋さんに行こうと言いだし、結婚記念日なんて忘れていると思っていましたがそういうわけでもなく。
 それがなんだかおいしいお店ではなくて、思わず主人が、「うちのパスタのほうが、お店に出せるね」と言いました。

 

 いつもお小言仮面(主人です)は、味が薄いやら、ぱさぱさしているやらと、文句ばかり言うのにです。
 おかしいなぁと思いましたら、病院の幹部から、主人が意としない人事異動をせまられているらしく、その異動に従うくらいなら、今の仕事をやめようかと考えているとのことでした。

 

 たぶん、メンタルの講座を受ける前ならば一大事!
 私は自分の身に起きたことのごとく、オロオロしたことと思います。

 

 でも、今は、もし、主人の仕事がなくなったら何年も夏休みもなかったのだし、旅行しよう!とか、
 この機に私なんていらないと離縁を言い渡されたら、
 犬を連れて京都に住んで、そこから講座に通って・・・それもいいかなぁ
 なんて、すでに楽しい妄想ジェットコースターで旅しているのですから。

 

 どこに住もうが、心がどこに旅立とうが、
 不安からの出発でなければ、どうにかなるような気がしているのです。

 

 主人の性格はちょっと変ですけれど、
 あれほど患者さんのことを考えてくれる人はいないと
 言ってくださる方々もいるのですから、
 そこを信じていきます。

 私は自分の心の揺ればかりに気を取られていましたが、主人にもあるのですよね。
 そう見せないだけで、お小言仮面になるときが強いときとはかぎらないし、
 そこに一喜一憂していたことが私の幼稚さでした。

 

 お守りのように、離別感を胸に、穏やかにその姿を見ていけたらと思っています。

 

 講座のおかげです。ありがとうございます。

 

 感じる力を、思い出させてくださいました。

 

 先日、震災で最期まで患者さんを救出した医師のインタビューがTVで放映されていました。
 偶然にも、その方は学生のときに父から言葉をかけられていたようで、「目の前に大きな事象があっても本当に大切なものはもっと向こうにあるのだから、自分の生きる目的を見失ってはいけない・・・私はいつもその言葉を心に留めて医療に従事しています。」と言われていました。

 

 時を超え、今このタイミングで父からの手紙をもらったようで、TVを見ながら、私は涙が止まりませんでした。

 

 一緒にTVを見ていた主人も、「目の前のことしか見えてないかもな」と呟いていました。

 

 講座で出会う人々には、私には想像も出来ないことを乗り越えてこられた方も多く、私はすでに恵まれていたのではと気づかされました。
 それでも私の弱さは、たくさんの不安を詰め込み、目の前に大きな障害物を自分から作っていたことに気づきました。
 モグラにとっては、それは意味もなく巨大でした。

 

 でも、今は、顔をあげて、月を見上げ、銀座のネオンを見上げるべく、
 モグラ、穴からすでに出てきました。
 モグラは見えていないようですが、明るさを感じる強さがきっとあるはず。
 そう信じています!

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:鈴木

 木下さんのレポートを拝見させて頂き、後編コースの「ゲシュタルト療法」が気づきの切っ掛けになられたのだろうな、と感じました。
 ゲシュタルト療法では、物の見方の焦点を変えることをお伝えしています。人はどうしても欠けている所(短所)に焦点があたりやすいので、足りているところに焦点をあててみましょう、という心理療法です。

 私も受講生の時に、このゲシュタルト療法を聞いて、様々なことが腑に落ちたのを覚えています。

 特に、木下さんのご主人に対する見方が随分と変わられたのが、とても感動的でした。

 「ちょっと変わっている人」「人とトラブルを起こしやすい」「家で愚痴をこぼす子どもっぽい人」・・・木下さんがメンタルを受講するまでは、ご主人の欠けているところに焦点があたりやすかったのが、「人とトラブルを起こすのは、仕事に対する責任感の強さから」「孤独をすべて背負って仕事をまっとうする姿勢は、自分よりはるかに大人」というように、それまでも気づいていたのだと思いますが、改めてご主人の素晴らしさを意識されるようになっていかれた・・・
 そうすると、お父様が亡くなられた時に、大事な思い出であった「鯖寿司」を買って持ってきてくれたり、木下さんがいない時に犬の散歩をしてくれたりと、ご主人のやさしい面も、どんどんクローズアップされてきたのだと思います。

 たぶん、今の木下さんは、ご主人に対しての苛立ちはとても少なくなり、優しい気持ちで接することができているのではないでしょうか。

 私も同じ経験をしました。
 社会人として初めて勤めた会社の上司がとても厳しく、今でいうパワハラにちかい状態だったため、精神的にも追い詰められ、自分自身に自信をなくし、いつのまにか「怒られないようにするための仕事の仕方」しかできなくなっていました。

 メンタルで「ゲシュタルト療法」を聞いた時、この上司のことが頭に浮かびました。正直言って、それまでは思い出すのも嫌だったのですが、その上司に仕事の厳しさを教えてもらえたからこそ、転職しても新しい職場で通用する力を身につけることができたこと、忘れていたのですが、仕事の成果を誉めてくれたことがあったことなど、その上司の「足りているところ」が次々と思い出され、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 転職した先でも、同じような厳しい上司の元で働くことになりましたが、以前よりも自分を追い込むことはなくなり、上司に対しての苛立ちも、時々「いらっ!」とする程度で済むようになるとともに、優しい気持ちで接することができるようになっていました。

 ゲシュタルト療法を受講した当時、最初の上司の元を離れてから3年が経過していたのですが、私にとっては、そのことに気づくまで、3年という時間が必要だったんだろうな、と感じています。

 木下さんも、今がタイミングだったのかもしれませんね。自分に『離別感』がなかったことや、『今、ここ』に生きていなかったこと、そして、ご主人の素晴らしいところ・・・それまでの時間があったからこそ、気づかれたのだと思います。

 これからも、ステキなご夫婦関係を築いて行って下さい!