Home 受講生の感想レポート 今までの経験は全て私にとって必要なものだった
今までの経験は全て私にとって必要なものだった

福岡校  斉藤 蓮さん(39歳 女性)


私は、物心ついた時から、どうして生まれてここに居るのだろうと不思議に思う子どもでした。
 私は、両親と私の3人家族で、母は肝臓が悪く私を生むことも命がけだったと、私が兄弟がほしいと言う度に、母からそう聞かされたものでした。

 父は、母より7つ年下で、20才で結婚し私が生まれたころはまだ21才で、若かったせいか
いつも仕事が終わると毎晩飲み歩き、休日は自分の趣味で出かけ、まったく家に居ることがありませんでした。母といつも2人きりの生活。
 父は、営業という仕事柄かストレスが溜まると飲んで帰って来ては、月に何度か大声を出し、物を投げ暴れるのです。父が暴れだすと、手が付けられなくて私は脅えて泣くばかり。
そのうち、私が父を止める役目になり、それでも3歳の私には押さえる事ができず、裸足のまま泣きながら隣の家に助けを求め走る事も多く、早く、父が寝付くよう息を殺し、お布団の中で神様にお祈りしながらウトウト朝が来るのを待ちました。

 しかし、父は散々暴れたあげく翌朝になるとあまり記憶がないのかケロッとして、私や母に謝るのです。そんな父でしたから、単純で裏表もなく明るい性格なので友達も多く誰とでも気軽に話せる人でした。ただ、一旦お酒が入り深酒するとダメなのです。
 しかし、たまに家に父がいると、いつ機嫌が悪くなり暴れださないか緊張して接していましたし、心が落ち着く事がなく、早く大人になって家を出たいといつも思っていました。毎日夜になるのがとても怖かったのです。

 昔、父と母は隣に住んだことがあったらしく、父の父親(祖父)は、酒を飲んでは暴れ、父は母の家に逃げてきては、「自分は、大人になったら絶対オヤジのようにはならない」と、言っていたのに、まさか同じになるとは、と母はいつも言っていました。私も、そんな父が本当に不思議でした。
 メンタルで、エリクソンの人間成長の心理学を受講した時、性格の形成では、環境の影響がどれほど大きいかと聞いた時、父の事を思い出し、父もかつて私と同じ思いをした一人なんだと、かわいそうに思いました。

 中学生になったころ、私は父を避けるようになりどんどん父との間に距離ができました。
 父が暴れた翌日は、恥ずかしくて近所の人に会いたくないのです。でも、こそこそするのも嫌で
誰かに会うと、いつもよりも元気に笑顔で挨拶をしていました。そうやって、自分を守っていた
ような気がします。

私はいつも母から、父の悪口ばかりを聞かされて、それがすごいストレスでした。私が、見ても暴れる父が悪い事は分かります。でも、母も、まったく悪くない訳ではないのです。もう少し、父に優しく接したらいいのにと、思うこともしばしばありました。しかし、そんな事は言えません。やっぱり母がかわいそうだという思いと、母の味方をしないと、いつか母が自分を捨て家を出て行くのではないかと、不安がいつもあったからです。何よりその事が一番怖かったのです。

私は、何度も母に離婚したらと持ちかけました。「高校に進学しなくていいから、私が働くから家を出て母と2人で暮らしたい」と言いましたが、母は私に「せめて短大まで行きなさい。そして、手に職をつけなさい。そうすれば、何かあった時、役に立つから。」といつも言って離婚する事を我慢していました。ただ、私は普通の生活がしたかった。母が、私の為に自分を犠牲にしているのが辛かったのです。母に、いつも笑っていてほしかった。母の人生を犠牲にしてまで、私は何の為に生きているのか自分の存在することの意味が分からなくなりました。

その思いはどんどん強くなり・・死にたい。消えてしまいたいと思う事もありました。

そんな中でも唯一の救いは、友達の存在でした。学校に居る時が一番楽しくて、なにもかも嫌な事を、忘れられる場だったのです。友達からは、家のそんな事情を知られたくなかったのでいつも、明るく振舞っていました。そして、いつも、笑っていました。笑う事で、自分を保っていたのでしょう。その反面、反抗してグレて家を出る事が出来ればどんなに楽か・・・しかし、私がそんな事をすれば母は父からどんな目にあわせられるか想像しただけでも怖かった。だから、とてもそんな事はできなかったのです。

その後、高校生になった時突然体育の時間に、心臓に異変を感じ呼吸が出来ず倒れてしまいました。病院で初めて病名を聞かされました。心臓に、持病があったのです。ショックでした。
私が死にたいなんて思ったから、バチがあたったんだ・・・と思いました。

家の中は相変わらずだったけど、恋をして大好きな人がいて、親友がいて、死にたくないと、命を粗末に思った自分を責めました。それから、度々発作は出て薬と点滴で抑えながら、遠くなっていく意識の中、もしかしたら、このまま死んでしまうんじゃないかと恐怖でいっぱいでした。
そして病気と付き合っていく決心をしました。それから、私にとって“死”というものは隣合わせでした。

その後、短大を卒業して幼稚園の教諭になる事ができ、父の転勤を機に、私は福岡に残り念願の一人暮らしを始めました。生まれて初めて、熟睡できた夜の事。色々な圧力から開放されて本


当に自由に生活できる喜びを今でも忘れられません。しかし、一人になると、何があってもすべて自分でしなければいけません。“離れて分かる親のありがたみ”を痛感しました。食事・身の回
りの事をずっと母がしてくれていた事に感謝をし、働いてお金をもらう大変さを知り、父も大変だったんだな・・・と。今まで、何のかんの言っても甘えていたんだと思い知らされました。

母がいつも、私に言っていた言葉があり、「男の人でも女の人でも、友達をたくさん作りなさい。そして、結婚を決める時は、自分の目でしっかりと見て決めなさい。」それがどういう意味か分かっていました。
そして、出逢い、別れを繰り返し色々な想いを経験し人を愛するという事の素晴らしさを学びました。

結婚を意識するようになったころ、先に結婚した友達から「旦那とケンカしたから頭にきて実家にしばらく帰っているんだ。」という話を聞くと、いいな~と思ってしまう。もし私が離婚したとしても、帰る場所はないし、何かあっても甘えられる場所がない事は分かっていました。

私は、子どものころ憧れた、家族みんなが笑顔になれる暖かい家庭をつくるのが夢でした。絶対父と正反対の人と結婚したいと、子どもの頃から思っていたけれど、その半面結婚するのが怖かった。
やっとめぐり逢えたのが主人です。どんな時も暖かく両手を広げて受け止めてくれる人でした。私の、病気の話をして、もしかしたら、子どもが生めないかもと相談しても、「子どもがほしいから蓮と結婚するんじゃないよ。2人で人生歩くのもきっと楽しいよ」と言ってくれました。私は彼を幸せにしたいと心の底から思いました。

そして、結納の日に妊娠した事が分かり、夢のようでした。嬉しくてお腹の中で大きくなっていく我が子を楽しみにしていた矢先、8ヶ月になり、突然陣痛がきて切迫早産で入院する事になりました。赤ちゃんがダメになったらどうしよう・・・と不安でいっぱいな私に同室だった方が、自分も同じ理由入院してると優しく勇気付けてくれました。話していると、意気投合しお互いの生い立ちも似ていたせいか心から分かりあえる存在になり今でも大切な存在です。

私は、今までピンチな時や岐路に立った時、必ず人との出逢いがあり救われ助けられるのです。
本当に友達や周りの人に恵まれていて、とても感謝します。

それから、どうにか、臨月まで持ちこたえてくれて、発作も出ず無事に長男を出産することが出来ました。待ちに待った我が子。可愛くていとおしくて、母になれた喜びと家族が増えた幸せもつかの間、1ヶ月も経たないある日、41度という高熱を出し、いっこうに下がらず即入院。24時間小さな手に、点滴を打たれ、髄液まで取られて毎日色々な検査。泣いている長男の顔を
見ながら、変われるものなら変わってあげたいと私は泣く毎日でした。


病名は“川崎病”心臓病の一種でした。私は自分が心臓が悪いからだと自分を責め泣き続けました。

しかし、小児病棟には色々な病気の子どもが入院していて、重病の子もみんな病気と闘っている。でも、その子達のお母さん達はみんな元気で笑顔なのです。それは、子ども達と過ごせる時間を大切にしているから。私も気持ちを切り替えて、この子と向き合える時間を大切にしようと笑顔をとり戻す事ができました。長男を見て、元気で生きていてくれたら他に望むことはないと、そして、頂いた命は彼のものだから自分が思うように生きてほしいとそう思いました。入院していた1カ月という時間と経験は本当に色々な事を考えさせられたものでした。

それから、長男が成長していくと同時に、不思議なほど自分の子どもの頃の辛い思い出が、覚えていない事までも、フラッシュバックのようにどんどん記憶がよみがえってくるのです。
その時から発作は頻繁に出るし、辛くて苦しくて、どうしたらいいか分からなかった時、1冊の本と出逢いました。その本には、この世は修行で人は自分の意思で生まれてきて、人にはそれぞれ生まれて来た役割があるのだと書いてありました。読んだ時、私にはあの父の元に生まれ修行する必要があり、私のその経験を活かして同じように苦しんでいる人の役に立てるのかもしれない、すべて意味があるのだと思ったら、すごく楽になりました。メンタルの体験に行った時、その時の事を思いだして、是非受講したいと思いました。

長男を授かった約3年後、長女を授かる事ができました。
実家に長女を預かってもらった時のこと、はしゃぐ長女を膝の上に乗せ父が「蓮もこんなに、かわいかったんだろうね。膝に乗せた記憶もなければ、抱っこしてあげた記憶もない。」とポツリとつぶやいていた・・と、母から聞き私は、そんなふうに思ってくれたなんて嬉しくて号泣しました。

30歳過ぎた頃、発作がひどくなり、失神する事もありドクターが「最終的には手術という手もあるけど、多少なりともリスクはあるので、定期的な検査と薬で様子を見ながら子どもが大きくなってから考えよう。」と言われ、私は“死”というものを現実に受け止め、真剣に考えるようになりました。
それは、今という時間一瞬・一瞬を大切に生きよう。子ども達の成長をこの眼でしっかりと見て、体が許す限り何でもしようと思いました。子ども達に、色々な事を伝えて行きたい。そして、家族だけではなく、友達、周りの人、出逢えた人達をもっと大切にいて行きたいと思うようになり、人の為に役に立ちたいと強く思うようになりました。今日が最後になるかもしれないから、思いたったらすぐにやる。時間は刻々と過ぎていく。後悔だけはしたくないという気持ちがいつもあります。

しかし、わたしは病気になった事を不幸だとは思ってはいません。病気になった事で、もっと幸せを感じる事の方が多いのです。
体を心配してくれる、家族や友達、周りの人たちの暖かさに、ありがたいなと涙することもあります。

今という時間を大切に過ごすことができるようになりました。病気の人の苦しみが分かるようになりました。そして、私が生きている間、誰かの役に立てるのなら、自分には何ができるだろうと考え、行動することができるようになりました。色々な、気づきをもらえたのです。

私は、今まで本当に色々な経験をしてきたというか、させてもらいました。特に、幼少の辛い経験があったからこそ“人間の心理、心”というものに興味を持ち、心理学を勉強したいと思うようになり短大でも“幼児心理学”を学びましたが硬くて難しいというイメージしか覚えておらず、初めてメンタルを受講した時、目からうろこでした。こんなに、分かりやすくて心が温まる心理学があるなんて・・・・・と感動しました。もっと勉強したいと思いメンタルが大好きになりました。

受講していくうちに、子どもの頃から絡まっていた感情が少しずつ、解けていきました。
時には、自分と向き合うことがきつい時もありました。しかし、終わった頃には心がスッキリするのです。

私が一番好きなのは、ゲシュタルト療法(欠けている点に焦点を当てるのではなく、足りている点に焦点を当てていく心理療法)の講座の時に習った“ゲシュタルトの祈り”です。ゲシュタルト療法を初めて受講した時、ストンと何かが落ちたような気がしました。親と言っても、父も母も一人の人間・・・あの頃の父は若かったから、遊びたくなる気持ちも分かります。しかし父なりに、私を愛してくれていたのです。そして、私と母が父に対し距離を置いていた事を何年もの間感じ、きっと孤独で寂しい思いをしていたのだと父に申し訳ないと思いました。

母はあの暮らしの中私を守って生活をして行くのが精一杯だったのでしょう。そして、母は信仰心の強い人でしたから、目に見えないものを敬う気持ち、人として生きて行くための大事な事を沢山教えてくれました。そして、本の素晴らしさを教えてくれたのも母でした。今では、両親の素敵なところに焦点を当てることが出来るようになりました。

そして、今年の私の誕生日に両親に初めてきちんと“Iメッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)”を伝える事ができました。
「私を生んでくれてありがとう。私はお父さんとお母さんの子どもでよかった」と。

突然だったので、驚いたようではありましたが母は、「蓮には辛い思いばかりさせたね。」と、父は「蓮には、親らしい事を何一つしあげてないから、せめて孫達にはその分、何でもしてあげたいと思っている。」と言ってくれた言葉に一つも偽りはありませんでした。これが、あの父なの?と思うくらい子ども達をいつも可愛がってくれるのです。

私は両親に心から感謝しています。あなた達の子どもとして生まれてよかったと、心から思います。だからこそ、今の私があるのです。

そして、今まで経験してきた事は全て私にとって必要なもので、何一つとして無駄なものはなく、その経験から学んだものは私の宝ものです。そして、その経験やメンタルで学んだ事を色々な人に伝え、今悩んでいる人の役にたつ事ができみんなが幸せになれるのなら、私自身こんな幸せな事はありません。
私は、メンタルに出逢えて本当によかったと思っています。
最後に私をメンタルに出逢わせてくれた友人、いつもエネルギー全開で講座をして下さる先生方、いつも笑顔で優しく迎えてくれるボランティア・スタッフの皆様、共に学び元気をくれる受講生の仲間・・・・
みなさまに感謝します。心から“ありがとう”と・・・・・。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:鈴木

斉藤さんは本当に笑顔がステキな女性で、再受講にも何度もお越し下さっている受講生さんです。
でも、その笑顔の背景には、お父様の暴力に怯えながら育った幼少期、
ご自身の病気、結婚・出産、お子さんの病気・・・・
様々な辛い出来事を経験されてきた中で、
「すべての出来事は意味ある事、自分にとって必要な出来事」として、
心から受け入れることが出来たからこその笑顔なんだと、レポートを拝見して思いました。

私自身も、親との関係で悩み、今から10年前にメンタルの講座を受講しました。
当時は祖母の自殺とそれにまつわる親戚の確執、
母親のアルコール依存症、兄の借金問題と長年にわたる引きこもり等、
次から次へと問題が起こり、その出来事をどう受け止めてよいのかわからず、
実家から離れて一人暮らしをしていた私は、夜中に父親から電話がかかってくるたびに、
悲惨な現状を聞き「家族って何なんだろう?」と、いつも自問していました。

でも、斉藤さんと同じく、メンタルで「ゲシュタルト療法」の講座を聞いた時、


「ああ、そうか!」と私の中で何かがストンと落ち、それからは今起きている現状を
受け入れていくことが出来るようになりました。

すべてを受け入れられるようになると、本当に自分が楽になれました。
斉藤さんもきっと同じ心境でいらっしゃるんだろうな・・・と共感しつつ、レポートを読ませて頂きました。

でも、メンタルの講座を受講しながら、暴力を振るっていたお父さん、
離婚を拒み続けていたお母さん・・・当時、そうならざるを得なかった理由を斉藤さん自身が気づき、
それを受け入れ、ご両親に感謝の言葉を伝えるということは、
現実問題なかなか出来ることではないと思います。
それを行動に移された斉藤さんの姿に、心から感動しました。

きっと、ご両親も斉藤さんの変化を感じ取られていたからこそ、今、目の前にいるお孫さんを
大切にして下さっているんだと思います。
これからも、斉藤さんの笑顔かいつも輝いていますように・・・・応援しています!!