Home 受講生の感想レポート 最後の最後まで、祖父が家族に与え続けた愛
最後の最後まで、祖父が家族に与え続けた愛

福岡校  松尾 誓志さん(39歳 男性)


「【俺の人生には、なーんの悔いもない。お前たちはお前たちの事をがんばれ。やけ(だから)、見舞いやら来んでいいぞ!】故人は最期を迎えるつい数日前まで意識があり、そう言って見舞いに来た私たち遺族に気を遣っていました。」 ・・・祖父の通夜に参列いただいた方への私のお礼の言葉です。

2008年12月1日、私が心から敬愛する祖父が亡くなりました。肺気腫、肺気胸、肺水腫という肺へのトリプルパンチ。入院していたときの担当医いわく、苦しくてどうしようもなく、胸をかきむしるような状態との事でした。そのような状態でさえ、他人を気遣える余裕はどこからきたのか定かではありませんが、自分の人生を全うした達成感のようなものがあったのではないかと感じざるを得ませんでした。

祖父はこの数年あまり体調が優れず、寝たきりとは言わないまでも、よく布団に伏せっていました。そして、この年の秋口から身体を壊して入院することになりました。肺に水が溜まっていたようでしたが、精密検査をしてもはっきりした原因がわからず、対症療法的な薬物投与がされ、その副作用で心臓に負担がかかり、その対症療法でまた別の副作用が出て・・・という具合でした。92歳という年齢を考えても、「そろそろ心の準備をする時かな・・・。」という予感は本人を含め、家族、親戚みんなが持っていたと思います。

ちょうどその頃に、私は日本メンタルヘルス協会で心理学を学んでいました。それが偶然なのか、必然なのかは分かりませんが、不思議と動揺する事もなく、順番が来た祖父が安らかに逝けるよう何か出来ないかと思っていました。また、初めて親を亡くすという経験をするであろう母や、初めて家族の最期を経験する妹、そして何より、人生の大半を祖父と一緒に生きてきた年老いた祖母はその死を受け入れる事が出来るだろうかと、とても心配でした。

入院中の祖父は、笑顔で背中を立てた電動ベッドに座っており、「早く家に帰って酒が飲みてぇなぁ。」とか、祖母には「お前がおらんけ(いないから)、毎日寂しいわい。」とおどけながら話していました。冗談が言えるなら、まだ大丈夫かなと思っていましたが、懐かしそうに昔話にふける祖父の姿は、自分の生きてきた道を振り返っているようにも見えました。

そろそろセーターが必要になってきた頃、ついに今の医療ではもう完治する見込みがないという事が担当医から告げられました。そこで、実家から距離のある総合病院から、近くの個人病院に転院させようかと思っている事を、母から相談を受けました。60年以上一緒に暮らしてきた祖父の気持ちは、娘である母が一番わかるだろうし、私も同じ気持ちでした。祖母の気持ちも同じだったと思います。

転院を前に、祖父が1日だけ実家に帰る事を許可されました。祖父は上機嫌で、迎えに行った私の車の助手席に子供のようにちょこんと座り、「お前の車か?ふとい(大きい)車やのぉ。事故、起こさんごとせな(起こさないように)。」と、40歳手前の孫の心配をまだしていました。

実家に帰る道すがら、「昔はここにはあれがあって、そこにはあれがあって」と、昔話を得意気に聞かせてくれました。そこは子供の頃、私が祖父に手を引かれて遊びに来ていた町並みでした。家に着いても、祖父は変わらず上機嫌で、大好きな一番風呂にゆっくり入って、夕食には親族みんなが集まり、医者には内緒でちょっとだけ酒も飲み、「今日はよう(良く)寝られる。」と、祖母との最後になるであろう寝室に千鳥足で向かいました。

再入院してからは、苦痛との闘いだったように思います。苦しみを和らげる為にモルヒネを投与してからは、意識も遠のいているようでしたが、時々発作的な苦しみが襲うのか、荒れ狂う獣の様にうめき声を上げ、押さえようとする私たちを蹴り飛ばしたり、力任せに爪で引っ掻いたりしました。

それでも手を握り、呼吸に合わせて祖父の肩や足を擦り、「つらいねえ。」と声をかけると、不思議と祖父は落ち着きました。母は子守唄のように歌も歌っていました。人はふれあいに安らぎを憶え、意識と無意識を結ぶのが呼吸であり、音楽はダイレクトに本能脳に届く。どれも日本メンタルヘルス協会で学んだ事でした。そして、その時が来るのを待つかのように、家族みんな交代で看病をしました。特に母と叔母は肉体的にはつらかったようでしたが、親への恩返しをしているようで、その表情はどこか誇らしげでもありました。

11月も終わる頃、基礎コースの終了を待っていたかのように、その時が近い知らせを受け、病院に駆けつけました。私自身も子供の頃から世話になっている医者は、家族みんなが集まったのを確認すると、「モルヒネの濃度を下げ、一瞬だけ意識を取り戻させます。苦しむかもしれませんが、お別れの言葉を言ってあげてください。それが終わったらまたモルヒネの濃度を上げて、苦しみから解放してあげたいと思います。」と言うと点滴のペースの調整をして病室を後にしました。ほどなく、祖父の瞼がわずかに動き始めました。

母は、「ほら、じいちゃん、みんな来てくれたよ。分かる?」と祖父のはげた頭を擦りながら「ばあちゃんも恵美子も誓志も和代も政仁も貴士も、み~んなおるばい(みんないるよ)。」と声を震わせました。祖父に聞こえていたかどうかは分かりません。ただ、聞こえていると信じて一人ずつさよならを言いました。涙があふれましたが、みんな口を揃えて「ありがとう、ありがとう」と感謝をしていました。最後の、そして心からのIメッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)でした。みんなそれぞれに、言いたい事はあったと思います。でも結局は、衛藤先生が講座の中でよくおっしゃる『I love you because you are you』という事でした。だれもが祖父を愛し、別れを惜しみました。




最初の体験セミナーで衛藤先生が話されたネイティブ・アメリカンの正しい人生の終わり方、【たくさんの笑顔に囲まれて泣きながら産まれ、家族や友人の涙に囲まれて笑顔で死んで行く】。祖父の死はまさしくその通りだったと思います。

呼吸が静かに止まったのは、翌朝未明でした。祖父が待ちわびた帰宅の朝、空は本当に雲ひとつもない快晴でした。家族はみな、泣き腫らした目をしていましたが、どこか満足したような表情だったように思います。霊柩車を待つ間、妹は「じいちゃん死んだね・・・。」と寂しそうに言っていましたが、「順番通りでよかったんだと思うよ。」という私の言葉に、産まれたばかりの2人目の娘を抱いた妹はうなずいていました。無くなっていく命もあれば、誕生する命もある。命のリレーを感じました。

初七日も終わり、一段落して初めて気付いた事がありました。祖父は意識のあるうちに母に様々な事をせわしく頼んでいました。しかし、それは、残して行くであろう足の弱った祖母、離婚してパートナーがいない母が安心して暮らせる為の準備をしていたのではないかという事です。人生のタイムバジェットが少なくなって、最後のひと仕事だけを娘に頼んだ。本当に最後の最後まで家族に与え続けたのではないか、そう思えたのです。だからこそ祖父の周りの人は、祖父の存在そのものを愛し、感謝し、自然に「ありがとう」の言葉と涙で送る事が出来たのではないかと・・・。

祖父が帰って来た日の空のように穏やかに愛する人の最後を看取り、微力ながらも家族の悲しみを一緒に受け止める事が出来たのは、やはり日本メンタルヘルス協会での学んだ事の影響が大きいと思います。そして、正しい人生の終わり方を教えてくれた祖父に感謝し、これからも生きていきたいと思います。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:吉原 

誰にでも訪れる最後の時、私は何を思うだろう。
そばにいる人達はどう思うだろう。
松尾さんのレポートは、今の私の生き方を振り返る良いきっかけとなりました。

「今まで自分の好きなように、自分の為に生きてきたかもしれないけど、
誰かの為に生きることもなかなか良いよ。」離れて住んでいる母から言われた言葉です。
確かにずっと気ままな一人暮らしをしている私。好きな海外にも留学し、好きな服を着て
好きなものを食べ、好きな人達の中で過ごしていました。誰かの為ではなく自分中心の生活です。
「自分以外の人の為に生きる」・・・・・自分の人生を失くすという事ではなく、

松尾さんのお爺様のように正しい人生の終わり方ができる人生を歩むことだと私は思いました。

私も祖父の死を経験しています。数年前のお正月、毎年恒例の親戚一同が集まる日。
祖父は何も変わることなく、一緒に楽しんでいました。少し前から食欲が落ちたという事で、
その翌日に検査に行くことになっていましたが、とても元気だったので、検査当日から即入院になるとは
誰も思っていませんでした。
入院してすぐに、祖父は寝たきり状態になりました。話しかけても、目や口がほんの少し動くだけ・・・・。
信じられませんでした。
入院する前日まで、みんなで一緒に食事をし、笑っていた祖父。
80歳を過ぎても毎日車を運転し祖母の通院の送り迎えをしていた祖父。
時間があれば祖母を車の助手席に乗せ、遠出していた祖父。
母達が心配するほど、祖父は祖母をいろんな所へ車で連れて行ってました。
いつも人の事を考え優先し、毎日を大切に生きている人と感じる人でした。
娘である母たちも、孫である私たちも祖父が大好きでした。
今思えば、私の祖父も松尾さんのお爺様と同じで「I love you because you are you」と
正しい人生の終わり方を言葉ではなく生き方で教えてくれた人だったように思います。

以前、衛藤先生が「えとうのひとりごと」で『本当の強さ』について書かれていました。
先生のお義父様の事です。(2007年8月18日のひとりごと『さよなら、お義父さん・・・・』)
先生のお義父様にお会いすると、祖父を思い出すという事を衛藤先生にお話しした事があります。
平凡な毎日を一日一日大切に穏やかに過ごし、自分の事より家族や周りの人の幸せを考え祈る人生。
松尾さんも私も身近に『本当の強さ』を持った人生の先生がいたんですね。

松尾さん!お爺様への愛を感じる素敵なレポート、ありがとうございました!
私も祖父の愛を再確認することができました。
私も祖父にもらった、たくさんの愛に感謝し、祖父に恥ずかしくない生き方をしていこうと思います!