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みんなが笑顔に過ごせる空間づくり

大阪校  田中 和也さん(19歳 男性)

 

僕は正直今まで努力しなくても運動神経も悪くないし、頭も悪くないので挫折という挫折をしたことがありませんでした。
 ぶつかったことがあったとしてもその問題から逃げてばかりいました。

 例えば、僕は小学1年生からサッカーをずっとやっていました。ポジションはディフェンダーでした。
 小学6年生になったときは、チームの副キャプテンでした。
 チームが負けたときには、「点を入れなかったフォワードが悪い」と思っていました。
 自分のせいと認めて責められるのが怖いから人のせいにしていました。
 その頃から、僕は自分が失敗しても認めず人のせいにするくせをつけてしまいました。

 そして中学生になったときには、地元では強いサッカーのクラブチームに入りました。最初はずっとレギュラーでした。でもそこまであまり努力もせず、レギュラーだったので完全に調子に乗っていました。
 そうすると、日々、努力をして頑張っていた同級生や、年下の子にレギュラーをとられました。

でも僕はそこで、「プロにはなられへんな。俺周りに比べて勉強できるからいいや。勉強で高校行こ。」とその現実から逃げました。それどころか、「プロになられへんのに勉強もせんとサッカーばっかりしてあほやな。」と一生懸命やっている人をバカにしていました。

 そして、塾に行くだけで、あまり努力もしなかったけど、志望の高校に受かりました。その高校を志望した理由は、「梅田に友達と通学定期の範囲で遊びにいける」ということでした。そして、僕は大阪市立東高等学校の理数科に入学しました。そこでも、「普通科は理数科とくらべて偏差値低いから。」と普通科のやつらとか、「実際あんなに頭悪いのに理数科はいれたんや。笑」みたいに周りをバカにしました。

 そして、入学した理数科でも、みんな部活に入って頑張って努力しているときに、「高校生にもなって、プロにもなられへんのに、なに必死に部活してんねん。あほやろ。」と僕と同じことをしていない人をバカにしてました。

 これだけバカにしていた僕を思い出して、今思うのは、そんだけ劣等感と一体感が強かったのかな、ということです。

 期待していた高校生活とあまりにかけ離れている現状を受け入れたくなかっただけなのかもしれません。

 そして、中学のときにちょっとやんちゃしていた僕は、みんなが真面目に部活やっていることに対して、「こいつら中途半端に真面目やな」とかも思っていました。それは「みんなと遊びに行けない」ということを正当化してたんだと思います。
 ほんとは「みんな。僕と遊んでくれないかな?」と思っていたと思います。
 そんなことを思いながら2年間ずっと過ごしていました。

 一応塾にも行っていたので、塾の模試の判定では関関同立(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)はA判定で合格圏内でした。
 大学に行かずに高卒で某ゼネコンで働いてる父をずっと見ていた母からは、「お前はいい大学に行きなさい。お父さんは大学卒の年下のやつに抜かれて悔しい思いをしていた」と散々言われてました。

 あと両親二人の思いとして、「誰かひとりでも大学に行ってほしい」というのは子どものころからよく言われてました。僕は三人兄弟の真ん中なんですが、兄は、高校を卒業して大学に行かず、力仕事系の会社に就職。
 そして、僕が高校3年の時には、妹はほとんど高校に行かずに中退。そのプレッシャーを全部背負った気がした僕は必死に勉強しました。

 「勉強してるんか?」としか父や母は言いませんが、なぜか無言のプレッシャーをすごく感じていたのを今でもはっきりと覚えています。

 そして僕は高校3年の5月、進学校の高校から、単位制の学校に編入しました。理由は、僕は大学は東京の大学に(慶應義塾大学)を志望していたんですが、僕の友達はみんな関西の大学志望でした。
 そのときの僕は、「みんな意識が低すぎる。こんなとこでおったら受かるものも受からんわ。」と思い、比較的自由な時間をとれる単位制に編入することにしました。今考えると、本当の理由は「さみしかった」のだと思います。でも親にも周りの友達にも背伸びしていた僕はそんなこと誰にも言えませんでした。

 そこからの日々は勉強、勉強、勉強・・・で人と触れ合うことがなく過ごしていました。人と触れ合うのが好きな僕にとって、それは精神的にものすごくつらい日々でした。そしてそういう状況になったときに逃げていた僕は、逃げ道がなくてどうしたらいいかわかりませんでした。

 その精神的に落ち込んでる時によく考えてたのは、「今僕が死んだら誰が泣いてくれるかな。」ということでした。当時の僕の想像では、親族しか泣いてくれないということでした。実際そうだったと思います。中途半端に知識があった僕は、内心、周りの人を馬鹿にして、見下してました。そればっかり考えててつらくて、「とりあえず一度勉強するのをやめよう。」と思いました。

 昔住んでいたところに行って、「あのころは楽しかったな。」と無駄に涙を流したりもしました。今思うと、「うつ」だったのかなと思います。でも僕は自殺は一度も考えませんでした。「僕」は「僕」を嫌いになれなかったからです。なぜなら、僕は昔から自分の名前「田中 和也」を世界一すばらしい名前だと信じていたからです。

 そして僕は両親には愛されていると思っていたからだと思います。でも家にも外にも「居場所」がなかったから、うつになったのかなと思います。そしてその落ち込んでるときによく読んでいた本がビジネス書で、そこによく心理学的なことが書いてあったのが、心理学に興味を持ったきっかけでした。

 そして、そのことをたまたま行ったセミナーで知り合った方に話したら、「それなら日本メンタルヘルス協会っていうとこ行ってみたら。体験は安いしとりあえず行ってみ。笑いあり涙ありのおもしろい講義だから。」と言われ、正直そのときは、「笑いってしょうもないだじゃれとかやろ・・・というか講義で泣くことあるんか?」という思いもありながら、でも話していていい人だったので体験に来たのがきっかけです。(先生すみません・・・。)

 体験では、ほんとに笑いあり涙ありでした。周りを気にせずあれだけ泣いたのは多分はじめてだったと思います。そして、体験の講座の先生の言葉で一番心に残ったのは、「笑顔は一番簡単なプレゼント」と「楽しいから笑うんじゃない。笑うから楽しいんだ」ということでした。

 体験受け終わった後、すぐに受講の申し込みをしました。衛藤先生をみて、「あんな大人になりたい」とはじめて思いました。勉強した今は、それは「モデリング」だったのだとわかりました。それで体験を受けたあと、僕は常に笑顔でいるように心がけました。

 でも最初は顔の筋肉がいたくて、「僕はそんなに笑えていなかったんだな。」と痛感しました。これがメンタルに通うことになったきっかけです。

 日本メンタルヘルス協会での学びでは、いろいろな気づきがありました。バタフライ理論のお話。「自分が小さな変化を起こせば、世界のすべてが変わる」ということを聴いて、自分ができることを少しずつやっていこうと思いました。今僕が自分自身のためにやっているのは、筋トレ、メンタルの復習、英会話、カメラ、マジックを自分のできる限りやっています。これらを毎日すこしずつやっています。
 ただ今は、自分自身のためでも、月日がたつと皆さんを幸せにできると思っています。

 僕は今現在はまだ投票権はないですが、は20歳になって投票できるようになれば必ず行こうと思います。やはり僕は日本が好きなので、もっとよくなってほしいと思うからです。僕にできることですこしずつ皆さんに返していけたらいいなと思いました。

 前編後編を通して僕は、
 「居場所のない人の居場所をつくる。」
 「みんなが笑顔に過ごせる空間づくりを。」
 というのが、僕が将来なりたい像なのかなと思いました。

 メンタルはとても楽しかったです。
 皆さんに会うと、いえ厳密にいうと、地下鉄心斎橋を降りた瞬間から、皆さんに会えるという喜びで、毎回わくわくしていました。
 スタッフのみなさんや一緒に学んでくださったみなさん。
 本当にありがとうございました。
 そしてこれからもよろしくお願いします。

 新しい僕は、これからもずっと笑顔で過ごしていきたいと思います。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:磯馴

田中さんは初めて体験講座で出会ったときから、とても素敵な笑顔が印象的な方でした。

 でも、今回のレポートを拝見させていただき、その笑顔の背景には様々な葛藤があったのだと感じさせて頂きました。

 自分よりも相手を引き下げることで、自分を優位に立たせようとする。
 人を見下したり、物事を人のせいにしたりするのは、自分に自信がないという劣等感を抱いているからだと、メンタルの講座で習いました。

 でも、そんな劣等感を抱いていた自分を見つめて『自分の弱さ』を受け入れている
田中さんの姿に、本当の強さを感じました。

 
田中さんは「居場所のない人の居場所をつくる。」「みんなが笑顔に過ごせる空間づくりを。」という自分の将来のなりたい像のイメージの通り、再受講を繰り返しながら、そこで出会う身近な人に対して笑顔で接して、いつも自分が一番楽しんで講座を受講されています。

 そして、「笑顔は一番簡単なプレゼント」と「楽しいから笑うんじゃない。笑うから楽しいんだ」という、講座を通して一番心に残ったという衛藤先生の言葉を、いつも
田中さん自身が実践して身近な人に接しているその姿に、日々目の前の人に対して、自分がどう在るのかというシンプルで大切なことを思い出させて頂きました。

 『感動と退屈の距離は、一歩踏み出すかどうかの違い』
 衛藤先生は講座の中でそうおっしゃいます。

 冷めた人生観の中で生きるのか。
 それとも、自らが一歩踏み出して人生に対して投げかけていくのか。

 何気なく過ぎ去っていく日常の中で、同じ時間を【価値ある時間】に変えるのは自分次第。

 「笑顔は一番簡単なプレゼント」

 ぼくもこの言葉を大切にして、笑顔をいつまでも忘れずに、毎日を楽しんでいきたいと思います!

 田中さん、素敵なレポートありがとうございました!