Home 受講生の感想レポート いつでも「私は幸せよ 」と答えられるように生きるには
いつでも「私は幸せよ 」と答えられるように生きるには

福岡校  兒島 由香さん(37歳 女性)


 2009年7月10日、私は日本メンタルヘルス協会の体験講座に参加しました。
 元々、心理カウンセラーというものに興味があり、そういう関連の勉強をしてみたいという思いは強くありましたが様々な事柄を理由に体験に参加するまでには至りませんでした。

 それが今思えば、何かに背中を押されるように体験講座に申し込みをし、あっという間に前編・後編の基礎コースを修了してしまいました。

 背中を押してくれた、その何かというのは、今思えば、私の最愛の兄だったのだと思えてなりません。

 私には2つ上に兄がいます。
 兄がいたといった方が今となっては適切かもしれません。

 私は兄一人、弟二人という四人兄弟で兄弟は皆、仲が良く、それぞれが結婚してバラバラになってからも変わる事はありませんでした。
 その中でも兄と私は特に仲が良く、兄は頻繁に私にメールや電話をしてきました。

そんな私に悪夢としかいいようのない出来事が起こったのは私が体験講座に参加した2日後の事です。

 私の最愛の兄は、海難事故で行方不明者となりました。

 元々、釣りが趣味だった兄は、自分が所有する船に乗ってその日、一人で釣りに出掛けていたそうです。
 よく晴れた穏やかな日だったのを私は今でもハッキリと覚えています。
 その日、私は、友人と能古島に船で遊びに行っていました。
 島に渡る為に船を待っている列に並んでいる時に偶然にも兄が船舶免許を持っている話をした事を覚えています。

 それは決して偶然ではなかったと思います。

 兄の事がやたらと頭に浮かんで兄の話ばかりしていた私。
 後になって分かった事ですが、私が兄の話をしていたちょうどその時、兄は海難事故に遭っていたのです。
 虫の知らせとはよく言いますがこれが「未来心理学」の講座でも教わった「シンクロニシティ(意味ある偶然)」というものだったのでしょう。

 同じ時間、遠く離れた場所ではありながらも私は兄と同じ海の上にいたのです。
 そんな事故が起きているとも知らず、私は兄の話を自慢げに友人にしていたのです。

 私が事故の事実を知ったのは翌日の朝早くでした。
 家族や親戚もすぐに見つかると思っていたし、海には慣れてもいた兄の事だから大丈夫だと誰もが信じていた為、余計な心配をかけて私を混乱させてはいけないと配慮して私への連絡は遅れたらしいのです。

 大掛かりな捜索は連日連夜続き、兄が乗っていた船はすぐに発見されたにも関わらず、3日経ち、1週間経ち、1ヶ月経っても兄の姿だけはいつまで経っても発見される事はありませんでした。

 現場検証の結果、船の上から誤って落ちた兄は、船外機に頭を巻きこまれてそのまま沈んでしまったのではないかとみられています。

 事故から3ヶ月経った今もなお、兄は未だ、行方不明のままです。

 そんな現実がありながら、よく講座を修了する事出来たなあと自分でも信じられない思いでいます。

 今思えば、精神的にも肉体的にも私は限界だったはずです。
 そんな中、何かを学ぶなどという余裕がある筈もありません。

 ただ、私が講座を修了出来た事の理由を一つ挙げるとするなら、それは、衛藤先生との出会い、衛藤先生の言葉の力だったと思います。
 あの時、あの感動が得られなかったら・・・。

 私が講座を受講する中で一番強く印象に残っているのは、実の所、講座そのものではなく、第1回目の講座終了後に衛藤先生の出された本を購入した際に名前を書いて頂くその時だったのです。

 「兒島さんですね?お手紙読ませて頂きましたよ。本当に大変でしたね。でもよく今日は来てくれましたね。笑顔も見られて本当に安心しました」と衛藤先生に言葉をかけて頂いたその時が私の中で一番心に残っている瞬間だったのです。

 毎日忙しく全国を回っていらっしゃる衛藤先生。
 そんな衛藤先生に例え、読んでもらえなくても届く事がなくてもいいから私は、どうしても兄の事故の事実だけでも知って欲しかった。
 自分が今抱えている残酷な現実・苦しくて辛くてどうしようもないこの感情を衛藤先生が知ってくれるだけでいい。

 そう思って、ただその思いだけで私は衛藤先生に手紙を書いたのです。

 衛藤先生ほどの超多忙な方です、講座で出会う受講生の方の数もどれほどいらっしゃる事でしょうか。
 私が差し出した名前を書いた紙を見て衛藤先生はすぐに手紙の送り主が私である事に気付いて下さったのです。

 それはとても大きな大きな衝撃でした。

 衛藤先生は、数多くいるであろう受講生の中のたった一人の受講生の言葉にも、声にも、心の痛みにも目を向け、耳を傾け、心を向けて下さったのです。

 それは、私の中でどの講座を受けるよりも大きく、深く、心を突き動かされた生きた学びだったと思います。
 講座を学ぼうと思った当初は、それこそ心理カウンセラーというものはどうあるべきか、頭や理屈で考えようとばかりしていた気がします。

 それがあの瞬間、心理カウンセラーとは、教科書の中に書かれてある知識や技術以外の部分にあるのだと感じました。
 心と心の通じあい、温かさ、優しさ、愛情、誰しもが持ち得ているもの、それが必要な時、必要な人に与えられた瞬間、誰もが心理カウンセラーになれるのだと学んだのです。

 思い起こせば、兄は事故が起きる数ヶ月前に私にこんなメールを送ってくれていました。
 「いいか!俺は頼りない兄貴やけど、何かあったら、いつでも何でも俺に言って来いよ。お前の幸せが俺の幸せだからな」と。

 それに兄はこうも言っていました。

 「お前は俺の自慢の妹だから、お前を泣かせる奴は相手が誰であっても俺は許さない」と。

 だから事故で突然、私の前から消えた兄に私は 「私を一番泣かせているのは自分じゃないの!私の幸せが自分の幸せだと言っていたくせに私を一番不幸にしているのは自分じゃないの!」ってずっとそう思ってきたのです。

 事故から今日までの日々は、あんなに好きだった海も兄を奪った海だから、大嫌いになり、兄が深い海の底に沈んでいると思うだけで気がおかしくなりそうな日々でした。

 兄を思う気持ちなら、こんなに大きく深いのにどうして人は愛する人が苦しんでいるというのに助ける事が出来ないのだろうともがき続けた日々でもありました。

 私も兄の所に行きたいと大泣きした日もありました。
 こんな生き地獄みたいな毎日をどうやって過ごせばいいのか、いや、そもそも私はこの先、こんな苦しみを背負って生きていけるのだろうか?と苦しんだ日々。

 自分で自分を支えるのもままならない状態ではあったけれど、同時に私以上に苦しんでいるであろう両親を、そして私と同じ痛みを味わっているであろう弟たちを何とか支えなければいけない、助けなければいけない、守らなければいけないと強い使命感みたいな感情が生まれてきたのです。

 そんな様々な葛藤の日々を何とか今日まで乗り越えてこれたのは、この講座、衛藤先生との出逢いのお陰であるとそう思います。

 もし、この講座に出会ってなかったら、衛藤先生と出会っていなかったら、今、私は生きていれたかどうかも分からないのです。
 大袈裟でも何でもなく、そう思うのです。

 今まで私は、心理カウンセラーという仕事は、人を救い、人を癒す仕事だとずっと思ってきました。
 今でもそう思う事に変わりはありません。
 私も家族にとって、自分と関わる人全てに対して自分がそういう存在になりたくて心理カウンセラーを目指していた部分はあると思います。

 ですがこれは講座の中で先生方が話されていた通り、心理カウンセラーとは、人を癒しながら、自分も癒されているのだとその言葉の意味が分かる気がするのです。

 私も実際この講座を通して、どれほど癒され、気付きを得られ、生きやすい自分に生まれ変わることが出来た事でしょうか。

 そしてこれは心配性で妹の事になるとどうしようもなく過保護だった兄が私を思って最期に残してくれたギフトだったのだろうと思えて仕方ありません。

 今日、ここで手にした修了証書もまた、兄から私へのギフトなのでしょう。

 これから、 生きていく上で辛い事、悲しい事、沢山あるでしょう。
 それでも人は生きていかなくてはいけません。
 「 good - by の語源は、god - by 神の側に・・・である」と講座の中で耳にした時、兄はサヨナラした訳ではないのだと、神様の側にいったのだと思い、どれほど心が救われたでしょう。

 インディアンの教えで学んだ時には、「 人の正しい死に方とは、生まれた時と逆転しないといけない。生まれて来たときには皆が誕生を喜んで涙する。その人が亡くなった時には、その人がいなくなった事を悲しんで皆が涙する」という通り、兄の死は、まさにインディアンの教えそのままでした。

 私をここまで導いてくれたのは兄であったと思うし、兄を悲しませたくないという一心で今日まで生きてきました。

 兄に 「I’m happy now ?」 (幸せかい?) と、聞かれたなら、いつでも「 I’m happy 」 (私は幸せよ)と答えられる様に私は生きていきたい。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:鈴木

兒島さんは先日の11月14日(日)に開催された福岡校の基礎修了パーティーに参加され、衛藤先生より基礎修了証書を授与されました。
 当日は284名の方が基礎修了証書をお受け取りになりましたが、中でも、兒島さんにとっては、この修了証書を受け取られた時、とても感慨深いものがあったと思います。

 兒島さんのレポートを拝見した時、本当にこれだけ辛い状況の中でメンタルに通ってきて下さっていたことに、心から感動しました。

 大好きだったお兄さんが亡くなられただけでも辛いのに、行方不明のまま・・・
 言葉に表すことが出来ないほど、ショックで苦しい日々だったと思います。

 突然、家族や大切な人がいなくなることは、残された者がその死をどう受け止めてよいか、その死は何を意味するのか、本当に悩み、考えざるを得ないと思います。
 私も、母方の祖母が自殺で亡くなりました。
 突然でした。もともと、足が不自由になって寝たきりになり、同居していた家族との折り合いが悪いことは前々から聞いていました。

 ただ、普段ならとても自力で歩けるわけのない祖母が、その日は自分で這ってでもベランダに出たようで、そこで自らの命を絶ちました。

 歩けない祖母が自力でベランダを目指す・・・人の最期に振り絞られる力の凄さに驚くとともに、どのくらいの時間をかけて這って行ったのか、その時の祖母の気持ちはどんな気持ちだったのだろう、と想えば想うほど涙が溢れ、いたたまれない気持ちになり、自分の気持ちが整理できなかったことを今でもよく覚えています。

 もちろん、祖母に確かめることはできないわけですから、この死を自分でどう受け止めていくのか、私に何ができるのだろうか、と考えていました。

 この祖母の死が一つの切っ掛けとなり、心理学を学ぼうという気持ちになりました。
 なぜ、祖母はそこまで自分自身を追い込まなければならなかったのか・・・
 同居していた家族の人は、そう深刻に祖母の死を受け止めていない様子だったので、なぜ、祖母は苦しみ、同居していた家族は同じ痛みを感じられないのか・・・
 人の心って何なのだろう・・・そんな漠然とした想いが少しでもクリアになれば、と思ってメンタルの受講を始めました。

 兒島さんは、お兄様のことを通して、衛藤先生に手紙を書き、衛藤先生がその手紙を覚えていて下さったことから、心理カウンセラーとして一番必要なことに気づかれました。
 
 知識やテクニックではなく、「心と心の通じあい、温かさ、優しさ、愛情、誰しもが持ち得ているもの、それが必要な時、必要な人に与えられた瞬間、誰もが心理カウンセラーになれるのだ」ということ。
 
 このことこそ、メンタルが目指している心理カウンセラーそのものなんです。
 
 すでにその事に気づかれたのは、スゴイことだと思いました。やはり、兒島さんは辛い経験をされた分、人の優しさや温かさを、他の人以上に感じられるようになっているのだろうな、と思いました。
 そして、それはお兄様が妹さんに託したものなのかもしれません。

 私も、メンタルを受講しながら、祖母の死を自分なりに受け入れることができました。
 講座の中の一言、一言で、自分の心が楽になっていきました。

 そして、お兄様の死はインディアンの教えそのものだったと書かれていましたが、私もインディアンの教えでとても楽になったことがあります。
 私は日本でインディアンのセレモニーを体験できるワークショップによく参加していたのですが、初めて参加したワークショップの最後の時に、ある人が「この場所で行う最後のワークショップに参加できてとても良かったです。でも、もうこれでここに集うことが出来ないのだと思うと、悲しくてなりません」という感想を述べられました。
 私も同じ気持ちでいました。
 そうしたら、ある方が「寂しくはないんだよ。インディアンの人は「いつも我々はつながっている。たとえ肉体を見ることはできなくても、スピリッツはいつもつながっているんだ。だから、会いたいと思ったら、いつでも心の中でその人と会うことができる。だから、我々に別れはないんだよ。」僕たちも同じだよ。」と教えてくれました。
 この言葉を知ってから、私は祖母の死も、父の死も、大切な仲間との別れも、悲しい・寂しいと思わなくなりました。

 「スピリッツはいつもつながっている。自分が会いたいと思えば、いつでも会える」

 由香さんも、お兄さんとはいつでもつながっています。

 
 兒島さんはこれから研究コースに進まれ、さらにメンタルでの学びを深められていくことになりました。
 また、たくさんの事を学ばれ、気づいていかれることと思います。

 本当に勇気と感動を頂きました。
 兒島さん、ありがとうございました!!