僕の信じる神さま…

      2019/05/21

  平成から令和に移る時代にも、悲しいニュースが、波のように心に打ち寄せて来る。

悲しいニュースの後に、アナウンサーが、心を切り替え、笑顔で楽しい情報を送り出そうとする。悲しいニュースに心が止まったまま、その変化の速さに、ついてはいけない僕は、心はフリーズしたまま情報のウェーブの中で置いてきぼりをくらう。人の心は、急いで次の波に乗れないような気がして、いや乗ってはいけないような気がして…
 

  スピードが大切な時代なんだよね。はい、そうですとも…それは、僕にもわかっています。
でも、そのスピードのためにアクセルとブレーキを踏み間違え、暴走する時代が、人びとから大切な魂を奪って行く…奪ったほうも、奪われたほうも人生が失われていく。

平成の時代でも、心が平成(平静)になれない僕は、令和の時代に、穏やかな「心の速度」を、ただ願う…

テロのために沢山の命が消されました。どこかの国で行われたテロに対する復讐のテロなのだそうだ…それぞれが信じる神さまは、それを願っているのだろうか…目には目を、歯には歯を、そう命には命をもって償わせることを…

自分たちの確固たる信仰を確認するための殉教の死。それがテロ…神さまへの信仰…信仰のために命を捧げる強き宗教心。それが自爆テロ…

僕は神さまを信じているのだと思う。でも、その神さまは「人間の弱さをも、すべて認めてくれる」神さまを…
 

  僕が「神さまを信じます!」と朝誓っても、その信じた日に飛行機に搭乗し、その飛行機が墜落しそうになった瞬間には「神さま!僕は今朝、入信したのに!」と、夕方には、神さまに不信を感じ、うろたえ文句を言ってしまう、僕の弱さをも、受け入れてくれている神さまを…。
「人の存在は弱いね。でも、そんな文句を言っている君をも、見捨てないからね…」そんな神さまを…
 

  人の弱さ、不信仰をも、すべて包み込んでくれている神さまを、僕は信じている。

「私を愛するなら、僕も君を愛そう。私を愛さないなら、絶対に私も君を愛さないよ」は、なんと人間的レベルの愛なのだと思う…

それは神さまの愛を、人間レベルに落としているような気がして…。人間の弱さも、心(コロコロ)変わりをも知っていて、嫌わないのが神の愛であってほしいと…

遠藤周作さんの本「沈黙」に、ポルトガル人宣教師が代官から踏み絵を踏まされるシーンに、神さまが彼の耳元で「踏みなさい!そんなお前でも、私は嫌いにはなりはしないから…お前が愛する家族のために…」

そんな大いなる存在が神さまであろうと願う…

インディアンは「自然は神の意志だ」と教えてくれた。神は、どんな人にも太陽の恵みと、潤いの雨を降らせる。「お前が嫌いだから、雨をお前にだけは降らせない💢」とは、決して言わないと…すべてに自然は平等だ。
 

  私のために「相手を攻撃せよ」とは神さまは言わないと思っている。

令和の時代は、民族を超え、宗教を超え、国柄を超え、皆が幸せになるために、のんびり生きましょう。

優しい心の速度で…
 


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