依存しながら攻撃する人々

      2019/04/21

 ある病院がある。

 先進医療から代替医療にまで、広く人を癒すことに関心があり、また、見聞を広めようと、大人のための勉強会なども定期的に開いている。その病院の院長は僕の友人でもある。

 

 今月も、中国の長江に末期のガン患者の「一度でいい、水墨画のような景色を観たい」という願いを叶えるため、その家族と、それを応援する有志を募って旅立った。

 

 

 院長先生は「何も問題もなく旅は終わったのだけど、参加する人の中に、いつも運営の仕方や、旅の仕切りに文句を言っては、毎回、変な絡みかたをする人がいて… だったら勉強会も、ツアーも参加しなければ、すむだけの事なのに、必ずと言っていいほど、その人は、すべてに参加してくるので不思議で仕方がない」と院長は何かをかき消したいように頭をふった…

 依存しながら、攻撃するのは幼児性の表れです。

 子供が、自分で転倒しても「ママがお手てを持ってくれなかったから💢」とお母さんを叩いたり、泣いたりする心理です。自分の非は認めない。

 


 

 この心理は、大人の中にも見受けられます。

 親に文句を言いながら、家を出て行かないで、働かない成人がいます。
 親に(家賃、食費、生活費を)依存しながら、生活をとやかく言ってくる親が許せない。でも、生活を自分自身で自立できる自信がないから、家は出られない。でも、依存している親に、とやかく言われるのもイヤ。
 家を出て行きたくても、出ていけない不満は、自分に(内に)向かえば不機嫌になり、外に向かえば親への攻撃性になります。

 健康的な大人は、気に入らなければ、新しい場所に移動します。今は出られない理由(経済、実力)があるなら、文句を言われるのも家賃代だと割り切るか、いつか、離れるための準備を始めます。

 関わりを維持しながら、攻撃をしてくる人は、やはり幼児性が抜けないのです。

 

 

 優しくしてもらいたいなら、攻撃しなければいいのに、文句や、自分の正当性をクレームと言うことでからんで来る、そして、本当の子どもではないので「幼児的パーソナリティ」はタチが悪くなります。理屈を言い始めるからです。

 僕のクライエント(相談者)にも、時折来られます。

 例、client「衛藤先生、これ書いて下さい」
 counselor「年収は?持ち家か?扶養家族がいるか?まるでローン審査表だね」

 client「僕の親が、僕が探したカウンセラーなんて信じられないと言うんです。だから衛藤先生は僕を救うために、その親を信用させなきゃいけないんです」

 counselor「それは、君がしっかりと親御さんと、お話をして信用してもらうしかないんじゃないかなぁ。」

 client「おかしいですよ💢先生はカウンセラーでしょ💢カウンセラーは悩んでいる人を助けるのが仕事でしょ。そして、僕は悩んでいる💢だったら、先生が僕の親を信用させて、僕のカウンセリングしなければならない義務があるでしょ」

 counselor「疑われているなら、疑われないカウンセラーを探すか、君が親にしっかりとお話をする必要があるんだよ。何なら、僕が親御さんとお話をしようか?」

 client「先生、頭が悪いですよ💢 カウンセリング料を出すのは、僕の親なんです。そして、僕にはお金がない。そして、衛藤先生は悩んでいる人を助けるのが仕事!そして、親は衛藤先生を信用していない。だから、先生はこの質問に答えて、親に信用させる義務があるんですよ💢」

 「カウンセリングさせて欲しい」と、僕が彼に懇願したのだろうか??????と、こちらの頭が混乱するような、やり取りが続く。

 


 中には「至急相談に乗ってくれ❗」受付で「予約がいっぱいで、10分後の予約は無理なんです」と受付の女性が丁重にお伝えしても「僕の家、そこのカウンセリング・ルームから10分も離れていない所に住んでいる」と言うのが、悩んでいる相談者の至急の意味なのです。自分がスグに行ける場所だから、カウンセラーもスグにカウンセリング出来るでしょ!と論理になる???

 中には「明日、初めて衛藤先生にカウンセリングしてもらえるので、明日のカウンセリングの時間までに衛藤先生に読んでおいてもらって下さい」と、6年分の日記を前日に届けてくるクライエントも存在します。帰って来た僕は「徹夜の仕事だね」と笑ってスタッフから日記を受け取りました。

 このような人びとの特徴は、自分の世界(悩んでいる)だけが、すべてで、相手にも都合があるだろうなぁと、相手の世界や時間や立場が見えない。だからこそ、そこに人間関係のトラブルが続く。

 僕なら「ここは合わない」と思ったら静かに関わりから離れていくが、このような人びとは、僕の友人の日頃寛大な院長すらも、なげかせてしまうように、勉強会に旅行に文句を言いながら離れない。いや、心理的に離れられないのです。幼児性のために気になってしょうがない。

 心理的に依存しながら(甘えを求めて)、親のように自分を中心に考えてくれること(寛容さ)を求める。それを受け入れてくれないと、そこを離れないで、攻撃というマイナスな形で、そこに関わろうとする。

 

 これを僕の教室では『母子一体感』と教えています。すべてのトラブルを作り出す関係には、大人になっても、心理的に乳離れできない幼児性が背後に隠れています。

 今日、関西の新聞に、過去にお付き合いした恋人が忘れられないので「過去の恋人が誰かと付き合っているので、その二人を別れさせて欲しい」と探偵事務所に依頼した男性がいたと書かれていました。探偵事務所は、過去、恋人の女性が、今お付き合いしている男性側のほうに、美しい女性スタッフを近づけ、新しい恋人になりすまして、男性のほうから、彼女を振ってもらうのが、別れさせる常とう手段だそうです。

  「そんなビジネスがあるの?! 」と僕は、悲しくも滑稽にもなりました。

 その依頼した男性は、その方法を了解して、過去の恋人は、彼が女性スタッフと付き合いはじめ、二股をかけていることを知り、自分から別れてしまいました。言うなら工作通りに目的は果たせたのです。過去の恋人は別れたことになります。ところが、探偵事務所に依頼した男性が、成功報酬を払う段階になって「成功報酬は払わない」と探偵社を訴えたのです。

 依頼者が成功報酬を払わない理由は「心理を誘導して男女を破綻に追い込んでいて、社会通念上、公序良俗に反する」と言うのです。

 

 そもそも、その依頼した時点で、依頼者の男性も「公序良俗に反するのでは?」と僕は思いました。男性依頼者も探偵事務所も、お互い様で、どちらも正しいとは言えません。

 ただ、ここにも、依頼者は「僕は悪くない。正義で戦っている」と思っているんだろうと思うと、依頼者の幼児性を感じてしまいました。

 攻撃性が止まらないのは子どもの心理です。だから、誰かを攻撃するくらいなら、静かに離れましょうよ。それが大人の心理です。怒りで離れられないのは幼児性です。

 5年前に別れた恋人に、憎しみから毎月、呪いの電話をかけている女性のクライエントをカウンセリングしました。彼女は気づいていませんでした。いつかは人生が終わること…。その限られた人生を、憎しみの感情で彩っていることを…愛情の反対は憎しみではありません。愛情の反対は「忘れる」ことです。

 愛情の反対は、前を向くことです。「憎しみ」は、その相手に、頭が占領されているので「愛情」と同じものです。

 その憎しみで、人生を生きている人は、その人の人生が可哀想です。

 GOOD-BYEは、もともと GOD BY  神のそばに です。
 イライラしているあなた、一刻も早く戦いの世界から離れましょう。


 

 

 

 

 
 
 

 

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