Home 受講生の感想レポート 夢の一日の中で生きる
夢の一日の中で生きる

大阪校  金澤 明信さん(43歳 男性)


 ある日、メンタルの基礎講座を修了した同僚が、「久々に衛藤さんに会ってテンション上げたいな~」と熱く語るので、どんなカリスマ講師なのかと興味を持って体験講座に参加した。笑顔だらけの教室に、これは本気の笑顔か?と疑念すら感じながらも、大きな拍手とともに衛藤先生の登場!そのエンターティナー振りに疑念は吹っ飛び、初めて出会った愉しそうで煌めいた人生感に魅了されていた。「不幸というならば、あなたにとっての幸せってなんですか?」「笑えないのではなく、笑おうとしないだけ」笑えないってこういうこと?ってあの光景を思い浮かべ笑っているだけで肩の力が抜けた。

 高価な物を身に付けても、纏われる自分の心が空虚ならば、それはただの物になってしまう。お月さんだって満月の時もあれば、欠けているように見える時もある。でも実は光っている。今ある中で、いかに幸せを見つけるか。最後は、そんな自分を幸せと思えるかどうかですよね。

 帰りの電車の中では、大金を得たわけでもなく、ベンツに乗れるわけでもないのにワクワクした気分になっていて、つい3時間前の自分を観るかのように、何故そんなに苦しそうなの?何故もっと精一杯楽しもうとしなんだ?と人を見ていた。


 たまたま、ある冊子を読んでいたら「少欲知足」というコメントがあって、足りている中に幸せがある。「おっ!ゲシュタルト!」今までなら「フーン」と目にもとまらなかったかもしれない。これもメンタルが与えてくれた気づきという幸せです。体験で東京ディズニーランドの、涙ながらの話しを聞いて、私にとって心が浄化される毎週月曜日は日本メンタルヘルスランドとなった。

 

 キャストとゲストが二度とないシチュエーションのなかで笑ったり、泣いたりしているうちに、いつしか心が震えて、何故だか解らない希望の力が湧いてくる。ディスカッションでは、まだまだ仮面をかぶる自分にみんなが気づきを与えてくれる。
 

 メンタルの空間は、上から目線ではなく、講師自らも同じ目線で自己開示を行い、様々な悲しみ・苦労・経験を受け容れ乗り越えてきたことを、伝えてくれる。私はその強烈なメッセージを、教わったのではなく感じたのだと思っている。人と人がふれ合うこの感動がなければ、たとえ衛藤先生の本であっても、心理学の分厚い本を前に挫折して、こんなにメンタルに興味を持ち、好きになることはなかったでしょう。シェアしてくれた皆さん、メンタルの紹介者との出会いに感謝です。


 ほんの僅かなこの感覚を持てるまで、随分時間の無駄遣いをしてきました。


 私も人並みに結婚して子供を授かった。毎回の検診で順調という妻の言葉に安堵して喜んでいたある日の検診で、子供が水頭症だと診断された。妻は目の前が真っ暗になり倒れそうになったそうだ。何故こんなことに?何故私達の子供が?遣り場のない悲しみに、言葉も出ずため息ばかりの日が続いた。

 

 でも障害があっても障害が残っても私達の子供に会いたい。可能性を信じようよと話し合った。オペによる出産は今までのイメージにはなく、機器に囲まれたNICUの病棟にも初めて足を踏み入れた。常に満床状態であることに私達の子供だけではなかったことに気付く。時が経つにつれ小脳へも影響が出ていることがわかった。挿管チューブが痛々しい。鳴き声も言葉も聞くことができない。事前に搾取した母乳は味わうこともできずにマーゲンチューブで胃や腸まで送り込まれる。

 

 それでも必ず治ると私達自身にも言い聞かせるように語り続ける。うつろな目に、父さんと母さんって解ってくれているか?いつか声を聞かせてくれるか?笑ってくれるか?ずっと一緒にいたいよね?しゅんしゅんの話しにもあったように、一期一会の面会時間です。面会を終えて家に帰ると夜の電話が不安になる。どうか病院からはかかってきませんようにと。

 

 1才の誕生日を病棟で迎えた1ケ月後に呼び出しがあった。駆け付けた時には、小さな身体に蘇生している先生達の姿。本当の母のように可愛がってくれた担当の看護師の目は既に赤くなっている。現実は受け容れがたいが、どう見ても別れの瞬間がきている。そして「もういいです」と自分の一言が人の人生にピリオドを打ってしまった。あの時は、誰を責めるでもなく素直に「ありがとうございました。」と言っていた。

 

 稀な症例だったため、将来の医療貢献のためには、病理解剖も必要だったかもしれないが、1年以上頑張り続けた小さな身体に、これ以上傷を増やしたくなかった。

 

 「これで初めて外出できるね。」「初めてお家に帰れるね。」親子3人の初ドライブは、病室の天井しか識らない息子に、これがお前の産まれた故郷だよ。ここに弁当を持って遊びに来たかった。このブランコに乗っているお前の姿も見たかった。もっともっと思い出が欲しくて、冷えていく我が子を妻が抱っこして夜の街を走り廻った。


 講座で習った行動の四角形は受容ラインを大きく引き上げ、どれもこれも非受容領域に入れてしまい、苦しくてどうしようもなかったあの頃、せめて嫁姑の問題だけでも解放されたくて、何の解決もしないまま別居することで、目の前の困難から逃げ出した自分を責めていた。でも環境を変えたことによって、今は元気にはしゃぐ男の子が2人いて、年老いた親の元に戻って一緒に暮らしたいと思えるようになり、あの時Iメッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)が言えたなら、アクティブリスニング(能動的な聴き方)ができていたらと、さまざまな学びを得ることができたと思えば少しは救われる。でも時が経つにつれ、私達は平凡な日常にある幸せを置き去りにしていた。


 四六時中、家にいて子供と接している妻はイライラを溜める。妻の期待に添えない私の行動が妻を爆発させてしまう。私はその妻にイライラ返しをしてしまう。先生が言っていた「嫌なことも、辛いことあるけれど、僕ら大人の生活という夢の生活の中で生きている」ということにハッとした。誰よりも忘れてはいけないはずだったのに。その日以来、プラスの言葉で、子供のワガママも母子一体感と楽しんで遊んでいると、いつしか妻の表情も穏やかになり、我が家も笑顔の時間が増えてきた。


 最近のビックリは、5歳になる息子がアンパンマンのひらがなボードを見ながら書いたのでしょうね。保育所に行く前、妻にハイッと渡した紙切れに、文字配列はバラバラで拙い字なのですが「かあちゃんいつもありがとう」と書いてありました!感激!

 

 基礎講座の最終日は、幸せいっぱいの神野先生の音楽セラピーで感動的にフィナーレ!(まだまだリピーターとなって蘇ってきますけど・・)。
 その帰り道の車で子供が入院していた頃がフラッシュバックして、よく聞いていた、平井堅の曲を聞き直していた。「自分を強く見せたり、自分を巧く見せたり、どうして僕等はこんなに息苦しい生き方選ぶの?・・・永遠は何処にもない誰も触れることはない、でも君が笑うとその先を信じたくなる、手を伸ばしたくなる~、答えなど何処にもない、誰も教えてくれない、でも君を想うとこの胸は何かを叫んでる・・・」先生は「あなたの中に答えはある」「人生はあなたがつくりだすものだ」と言ってなあ~。

 

 夜中に車で号泣しているオッサンは怪しいが涙が止まらなかった。家に帰り寝室に直行して、ちょうど5才と3才になる無垢な息子の寝顔をみて、「あ~幸せ!」とまた泣きそうになった。

 

 「心のドアノブは自分の内側にしかない」この言葉を聞いてから理性脳に響くAKB48の歌に「悩んだ日が何故か懐かしい。喜びも悲しみも振り向けば道のり、どんな時もひとりじゃなかった。青い空を見あげ大きく深呼吸。思い出の分だけ美しく。新しい世界の扉を自分のその手で開くこと。」いろんなことがあって今があるのだな~と思い、よし!一歩踏み出していこうとさせてくれます。


 今、基礎講座を修了することでメンタルのサイボーグになった訳ではない。むしろ扉の先にある不安や悩みに挫けそうになることの方が多いかもしれない。そんな時は、これが夢の一日の中で生きている証なのだと心に刻んで向き合っていこうと思います。

 

 メンタルの講座内容はどれも貴重でしたが、何よりも感じたのは羨ましい程の関係が築かれていることです。みんなが衛藤さんを慕い信頼して自分の役割を果たしている。これは衛藤さんが、みんなを家族のように愛して信頼しているという、基本的信頼の実践講座が常にある。実は仲悪いですよ~では、説得力ないですもんね~。


 この身体が消えても自分の僅かな生殖性を、あなたの心に残せるなら、死を恐怖として奧の方に閉じ込めるのではなく、先生の様に「ありがとう!」と手を振って、最高のセルフラブができる死に様を描くために、リピーターという有り難い制度を活用しながら、自分を高めていく努力を怠らず、今この瞬間を楽しんでみます。


 「カッーツ!」


 本当にたくさんの、チャンスとヒントをくださり、ありがとうございました。

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:鈴木

 金澤さんはこのレポートを2012年7月1日大阪校基礎修了パーティーにて、308名の前で発表して下さいました。

 その時の感動は、今も忘れられません。

 

 衛藤先生が金澤さんのレポートの感想とその時の会場の感動的な様子をブログに掲載されていますが(http://ameblo.jp/n-etoh/entry-11292924025.html)金澤さんが亡くなられたお子さんのことを語ることによって、そのお子さんは多くの人の心の中に生き続ける・・・生きている私たちは、その死を活かし、命のバトンを次の人に渡していく役割がある・・・そう、衛藤先生はおっしゃいます。

 

 以前、同じようにお子さんを病気で生後3日で亡くされた受講生さんがいらっしゃいました。その死をなかなか受け入れることができず、ご夫婦ともに立ち直れなかった時にメンタルと出会い、そのお子さんが生まれてきたことの意味をやっと見出すことが出来、新たな一歩を踏み出されました。

 

 その後、ご夫婦は亡くなられたお子さんのこと、お子さんに対する想いを絵本にして出版し(三日間命の輝きhttp://www.mental-books.com/books_users/detail/108)、それが切っ掛けで、「命の重みを子供たちに伝えて欲しい」と小学校などから声がかかるようになり、講演活動を始められるようになりました。

 

 このご夫婦も、多くの人に、命のバトンを渡していらっしゃいます。

 

 身近な人の死は、本当に辛い出来事です。身近であるからこそ、その死をなかなか受け入れることができなくなるのは、至極当然のことだと思います。

 

 私も、メンタルを受講する前ですが、祖母が自殺で亡くなりました。当時は「なぜ?」「どうして?」自ら命を絶つ瞬間、祖母はどんな気持ちだったのだろう、どんなに辛かっただろう・・・それを思えば思うほど、自分も悲しくなり、何か出来ることはあったのではないかという自責の念にかられていました。どうして同じ人間でも、幸せになる人と、祖母のように不幸せな人がいるのだろう・・・それを知りたいと思ったことが、心理学を学ぼうと思った理由の一つでした。

 

 そして、衛藤先生の講座を受講し、徐々に祖母の死を受け入れていくことが出来るようになりました。

 

 普段、なかなか人の「死」について誰かに話す機会はないと思います。でもう人の命は有限であるからこそ、生きていることを味わい尽くすことが大切であることを学ぶことができました。

 

 そう、過去を悔やむのではなく、未来を不安に思うのでもなく、「今、生きていること」は当たり前ではなく、奇跡であることに気づき、「今、ここ」の瞬間を全力で生きること・・・それが生きていることを味わい尽くすことになると、いつも衛藤先生は講座で語っています。 そして、「その言葉に救われました」「身近な人の死を受け入れられるようになりました」と多くの受講生さんがおっしゃいます。

 

 メンタル・スピリットそのものを語っている金澤さんのレポートは、多くの人の心の中に深く残っていくことと思います。

 金澤さん、本当にこのレポートを書いて下さり、ありがとうございました!