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私の心の約束~もう家族のせいにしない。人のせいにしない。

東京校  花見 咲さん(22歳 女性)


私が中学2年生の頃、父はうつ病で会社に行けなくなりました。
 会社での左遷が原因らしく、父は仕事に対する意欲をなくしてしまったようです。
 講座で習った「真面目な人がうつ病になりやすい」というように、父も家族より仕事を大切にする人でした。
 仕事のストレスのせいか、休日はほとんどパチンコに行ってしまい、幼い頃から父と一緒に遊んだ記憶は少ないです。
 「父親がいるのに、父親はいない」そんな家庭でした。
 そして、機嫌の悪い時は何かにつけて大声で怒鳴る。
 当時、幼かった私は「今日は機嫌が悪いんだなぁ~。」と特に気にすることもなく友達と遊んだりしていました。
 しかし、中学生になった頃から私は父の態度を許せなくなっていました。父の言葉の暴力に私も反抗しました。
 すると今度は殴る、蹴るの暴力。

 最初は仕事がうまくいかずうつ病になった父が、次は会社を長期休養して家で一日中過ごすようになりました。
 そのうちに、「うつ病になったのはお前のせいだ。」と母や私、妹、弟を責めるようになりました。

 一日中リビングのソファで寝転がっている父。
 常に父に監視されている気がした。
 少しでも父の気に入らない態度をとれば怒鳴りかかってくる。

 そして殴られる・・・・・。

 私が殴られている時、母は「やめて!」と言って見てるだけ。殴る父を止めてはくれませんでした。
 「本当に私の事大切に思ってくれているなら、お母さんは自分の体を張ってでも私の事守ってくれるよね・・・。」そう思っていました。
 だけど、母は助けてくれなかった。

 一度だけ、殴られている私を助けてくれた人がいました。

それは当時まだ5歳の弟でした。
 夜中、私が殴られて泣き叫んでいる声を聞いた弟は、隣の部屋から起きてきて、泣きながら「お父さんやめて!」と言って父の足に飛びつきました。もちろん弟に父の暴力を止める力なんてほとんどありません。
 それでも、私の心は救われました。嬉しかった。

 高校生活、私はなかなか友達に馴染めませんでした。
 「どんなに学校で楽しく過ごしたって、家に帰ればうつ病の父がいる。父がいるだけで不幸だ。」そう思うと、楽しむ事さえも無意味だと思っていました。
 今考えると、まるで自分が「悲劇のヒロイン」。
 今を生きること、友達との出会いを大切にしていませんでした。友達と馴染めなかったのも、私が友達に対して心を開いていなかったからです。

 そんな中で私は音楽大学受験を目標にしました。
 3歳の頃から習い始めたピアノ。
 ピアノは私にとって「無」になれる場所で、命綱でもあり、逃げ場でもありました。
 家族との問題も、ピアノを弾いていれば少しは忘れることができました。

 そして、ピアノの先生は、私にとって心の師でもありました。
 どんな私であろうと、ありのままの私を受け止め、受け入れてくれた人でした。

 「音大に合格すれば、幸せになれる」そう思って受験勉強に励みました。今思えば、合格したからと言って幸せになれるわけではありません。
 でも、当時の私はそう強く思う事でしか生きていけなかったのです。

 寝ている父を見て何度も殺そうと思いました。
 でも、その度に「音楽大学に行くという目標を、そんなことで実現できなくなるのは馬鹿馬鹿しい」と自分に言い聞かせていました。
 そして、そんな父を見て、
 「これ以上この家族の中から失敗した人間を作ってはいけない」
 「絶対に音楽大学に合格しなければならない」
 「左遷なんかされないくらい偉くなってやる」
 「私が結婚したら、絶対こんな家庭にはしない」
 「もっと強くならなきゃいけない」
 「友達を見返してやる」
と思っていました。
 これが、日本メンタルヘルス協会で学んだ“固定観念”だったのです。私は親の影響ではなく、自分で自分を不幸にする勝手な思い込みを作っていたことに気づきました。

 今思い返すととても心が疲れます。
 憎しみ、恨みだけで生きていました。
 早く大人になりたかった。
 自分ひとりで自立したかった。

 でも、高校を卒業してもすぐに働く勇気はありませんでした。
 結局、私は親に反抗しながらも、甘えていたのかもしれません。

 大学には無事合格し、憧れの音大生になりました。
 大学入学と同時に寮で生活することになり、家族と離れて過ごす毎日に少し心が軽くなりました。
 ただその反面、その頃から私は次第に自分自身の性格のことで悩むようになりました。寮で生活していても、友達と一緒にいることはほとんどありませんでした。
 「人と一緒にいると疲れる」という気持ちが大きく、「もう誰にも振り回されたくない」といつも思っていました。

 私は友達(人)との関わり方がわからなくなっていました。
 離れていても、私の心の中には常に家族のことがあり、ちょっとでも油断をしたら、触れてほしくない部分が出てしまう気がして・・・・・。
 そんな弱さを「人には絶対に見せてはいけない、悟らせてはいけない」そう思っていました。
 だから友達と会話していてもぎこちない。
 顔がひきつる。
 疲れる・・・。

 高校時代は「音楽大学に行けば新しい友達もたくさんできる、幸せになれる」と思っていたのに・・・。
 私の心にはいつも穴があいている。
 場所が変わっても心が変わっていない。
 ピアノをいくら練習しても上達しませんでした。いつも先生に「感情のない演奏ね。」と言われていました。
 私の命綱だったピアノ。逃げ場だったピアノ。
 そんなピアノに毎日向き合う生活。

 「逃げ場だった場所に毎日いるのは辛いよ、私の本当にやりたかったことって何だろう」そんなことばかり考えていました。

 大学が長期休暇になると、寮生は実家に帰らなければなりませんでした。大学1年生の夏休みも冬休みも実家に帰りました。
 父は相変わらずうつ病で、気に入らないことがあるとすぐ暴力。
 「お前なんていつでも大学辞めさせられるんだからな。」

 何も変わってない。

 父がうつ病になってから何年経つんだろう。
 「私が音楽大学を受験して、合格してがんばった姿を見せれば、父もまたがんばろうって思うかもしれない」と少し期待をしていました。
 でも、その期待は外れました。

 それから、私は長期休暇になると逃げるように函館の祖母の家に行きました。
 父は私が祖母の家に行くことに反対しました。
 祖母の家にいると、毎日携帯に電話がかかってきました。
 留守番電話には「お前なんか死ね」という伝言。

 いつもドキドキしていました。
 いつか包丁を持った父親に殺されるんじゃないかって。

 大学2年生の夏、ついに母が離婚の覚悟を決めました。
 私は父に殴られるたびに、母を責めていました。

 母に対して「お前は偽善者だ」と言ったこともあります。
 「私なんか産まなきゃよかったんだよ」と言ったこともあります。
 最悪な娘です。
 今思うと、母も私と父との間で辛かったんだろうと思います。

 私が19歳の時に離婚は成立。父は家を出て行きました。
 「やっと解放された」そう思いました。
 だけど次に待っていたのは自分との戦いでした。
 父はいなくなったのに、いつも心の中は過去のことばかり。
 「あの時、あぁしていたら」「もし、こんな家に生まれていなかったら」
 「もっと早く離婚してくれていたら・・・」
 両親が離婚してから1年間、自分を責め、母親を責めました。

 父は離婚してから、病気も回復し仕事にも復帰しました。
 「元気にやってるか?」「ちゃんと学校には行ってるのか?」「体調に気をつけてがんばれよ。」 「お父さん応援してるからな。」というメールや電話がくるようになりました。

 父の気持ちもわかるが、その気持ちを受け入れられない自分。
 やっと私が望んでいた優しい父親になったのに・・・・本来ならすごくうれしい事なのに、素直に受け入れられない。
 「あの時、あんなにひどい事をしたのに、よくそんなこと言えるよな」と思うとムカムカしてきて・・・・。

 だけど父は本当に変わりました。180度人が変わりました。
 「お前達には悪いことしたなと思っているんだよ。」

 声さえも別人のように変わりました。

 「父を受け入れたい、受け入れられない、許したい、許せない」
 そんな葛藤が続き、常に気持ちが不安定になりました。

 「カウンセリングに行こう」そう思ってインターネットで調べているうちに、日本メンタルヘルス協会に出会いました。
 「心理学を学んで、自分自身を救いたい」そう思って体験セミナーに参加し、続けて基礎コースも受講することに決めました。

 衛藤先生の話を聞いて、もっと早く実践的な心理学を学んでいたら・・・、そしてもし父がこの講座に出会っていたら・・・と思いました。
 だけど、「今」この講座に出会えたことに意味があるんだと思います。
 過去でもなく、未来でもなく、「今」。
 今まで必死で見えなかったけど、「今」を精一杯生きる事を大切にしようと気付かせてもらいました。

 私も大学4年生になり、卒業するための単位「卒業演奏」という公開試験がありました。保護者も見に来ることができる「卒業演奏」に私は父と母を呼びました。

 母はまるで子供のピアノ発表会のようにビデオカメラまで持ってきていました。
 父もうつ病だったときとは違い、ちゃんとスーツを着て来てくれました。
 私はとても楽しくピアノを弾くことができました。
 今まで憎しみや、誰かに負けたくないという気持ちでピアノを弾いていましたが、心から音楽を楽しんで弾くことができました。
 19年間ピアノをやってきて、初めてピアノを弾いていて幸せな気分になりました。

 演奏が終わった後、母が泣きながら私に抱きついて「よかったよ。よくがんばったね。もう充分だから。」と言ってくれました。
 そんな母と私を見て、父も「よかったよ。」と声をかけてくれました。
 その時初めて、父と母の本当の気持ちを感じた気がしました。

 「卒業演奏」の翌日がIメッセージ(感謝のメッセージ)の講座だったので、とても胸に響きました。
 私はこの「卒業演奏」を通して、はじめて両親から心のこもった言葉をもらった気がしました。
 講座の中でIメッセージ(感謝のメッセージ)を作る時、私は迷わず父に対する気持ちを書きました。
 「いろいろあったけど、お父さんとお母さんの子供に生まれてきてよかった」と。

 日本メンタルヘルス協会の講座を受講して、家族の事、自分の事を受け止め、受け入れられるようになりました。

 家族で過ごせる時間が永遠に続くのではない。
 いつか、父も母も私のそばからいなくなる。
 それなら、憎しみを持って過ごすのではなく、残り少ないこの時間を一緒に楽しみながら笑顔で生きていこうじゃないか。
 私は何も失ってはいない。
 大学にも行かせてもらった。
 ご飯も3食ちゃんと食べさせてもらってきた。
 仕送りだってしてもらった。
 素敵な兄弟に出会えた。


 私の弱い心が、自分を惑わせていました。
 もう家族のせいにしない。父のせいにしない。人のせいにしない。
 一人でもしっかり生きられるはずだから。
 今は家族、ピアノの先生、ピアノ、友達、全てに感謝しています。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:吉原

幼い頃からずっと、いろんな想いを抱えてこられたんですね。
 でも、そんな中、自分自身を変える為の行動は「強さ」だと感じました。
 そして、私も父の事を思い出しました。
 根っからの九州男児で口数は少なく不器用、しかも仕事一筋。子供の頃、一緒に遊んだ記憶は・・・・・・・。
 なかなか思い出せません。
 ただ、母が以前こんな話をしてくれました。
 私が病気をした時、父がお酒に酔った中、何度も何度も「大丈夫なのか?」と言っていたと。
 それだけで、父の気持ちを感じる事ができた事を思い出しました。
 離れて暮らしていますが、もうすぐ父の日。
 私も今の気持ちを、感謝のメッセージとして父に伝えてみようと思いました!