Home 受講生の感想レポート 人は何故腹が立つ?その答えから気がつけたこと
人は何故腹が立つ?その答えから気がつけたこと

大阪校  藤井 卓さん(47歳 男性)


私は、現在イベントの制作や舞台芸術の裏方の仕事をしています。会社を作って20年がたちました。結婚して4年、妻と4歳の女の子と2歳の男の子がいます。もうすぐ3人目が誕生する予定です。

 日本メンタルヘルス協会で学んだことは、仕事、家庭の中で使えることがたくさんあり、大きな変化が生まれました。
 仕事で変わったことは、まずお客様と打ち合わせをする時に、相手の話を聴く聴き方です。《アクティブリスニング》の活用です。
 相手の話を繰り返し、話をまとめることで、相手の言いたいことが整理され、お互いの考えに共通事項が生まれてきます。気持ちを汲むことが出来れば信頼関係が生まれ、こちらからプレゼンテーションがしやすくなりました。
 我々の仕事は、お客様が何を考えているか、何に困っているか、何をこちらに期待されているかをいち早く感じ取って、そのお客様にとって最高のステージを作ることで、この聴き方を学んだことは大きなことでした。

 次に、私がメンタルに来て一番感動したのは、《Iメッセージ》です。
 私は、会社内で自分の弱いところは見せず、強い自分を演じていました。
 ミスをした社員には怒ってばかりで、出来て当たり前、自分の出来ることは人も出来ると勘違いしていました。
 自分のやってきたことは正しくて、自分のコピーを育てようとしていました。
 24歳で会社を立ち上げましたので、人間的に未熟だった私は、気持ちに余裕がなく、お客様を最優先していたように思います。
 結果、バブルの絶頂期でもあり、イベントブームで会社設立後5年間は業績がどんどん上がりました。
 しかし、私は、社員が続かず継続的なサービスが出来ていないという不安がありました。
 毎年同じ時期に同じ仕事をもらっているのに、毎回違う担当者だと信頼関係ができず仕事をこなすだけになり、良い仕事が出来ないと思っていました。

 このままではだめだ!

何がいけないのか考えた結果、自分の社員に対する接し方に問題があると思いました。

 そして、この時期に見事に日本メンタルヘルス協会と出会うのです。

 Iメッセージの講座で「人は何故腹が立つのか?」という質問がありました。
 答えは「相手に期待しているから」でした。
 私は、この言葉で気づいたのです。
 社員を現場に送り出す時、いつも期待して送り出します。
 失敗するだろう・・・なんて考えてもいません。
 そして、期待しているということを、相手に伝えていない。
 これが問題だと、気づいたのです。
 要するに、私は素直ではなかったのです。
 社員と裸で向き合って接していなかったのです。
 こんな会社に、社員がついて来てくれるはずがない。
 毎年、スタッフが入れ替わる事も、納得できました。

 次に、こんなすばらしい言葉に出会いました。

 《他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ。》

 私は変わる決意をしました。
 「ありのままの自分を表現する」ことを心掛けました。
 これは、私にとってとても勇気のいることでした。
 社員になめられたらどうしよう、こんな社長にはついていけないと思われたらどうしよう、など不安はありましたが、これが自分だと受け入れる事にしました。
 そして、救助のIメッセージ・予防のIメッセージ・感謝のIメッセージ。
 Iメッセージを使うことで、人に自分の感情を素直に伝えるトレーニングになると考えました。

 社員Aさんが会社に遅刻してきました。
 藤井:「今、何時だと思っているんだ。何回言わせるんだ。次ぎ遅れたらクビにするぞ。」
 と、今までは言っていました。ところが・・・
 藤井:「君が遅刻するなんて何かあったのかなと心配してたんだよ」
 社員A:「すいませんでした。私の気の緩みが原因です。明日から気をつけます。」
 こんな答えが、帰ってきました。
 私はうれしくて講座のグループディスカッションで「こんなことあったんです」と喜んで話したことを覚えています。
 自分の第1感情を素直に伝えることで、相手に気持ちが伝わることが嬉しかったのです。

 人から、「藤井さんは、この会社をどのような会社にしたいですか?」と聞かれたら、今までは放送局や大手代理店の仕事ができる会社にしたいと答えていました。

 今は、「社員のみんなに、この会社に入ってよかったと言ってもらえる会社にしたい。」と答えたいと思います。

 今は、良い流れにあると思います。
 社員みんなが自分の会社だという意識が生まれてきました。
 20年がたちましたが、やっと私が考えていた組織に近づいてきました。

 先日こんなことがありました。
 社員ミーティングで「昨年の売り上げが上がったのはみんなのおかげです。今年度の給料の見直しを考えています」という話をしました。
 その話を聞いて、ある社員が私に相談にきました。
 「給料の件ですけど・・・」
 いくら欲しいという相談かと思うと・・
 「私は今の給料で生活は出来ています。私の給料はそのままでいいから、私の分を家族を持っている社員に回してください。」と・・・
 私はうれしくて涙が出ました。
 こんな社員に恵まれて幸せです。
 日本メンタルヘルス協会に出会って、こんなにもすぐ結果が出るって不思議です。

 次に《感謝のIメッセージ》です。

 私は、父に褒めてもらったことが一度もありません。
父は、銀行に勤めていて仕事人間でした。朝早く、夜遅い。
仕事以外は家でテレビ見てお酒を飲んでいることが多く一緒に遊んでもらった記憶もありません。子どもの教育も母任せでした。

 小学校、中学校、高校と12年間いやだったことがあります。
それは、各学期末に渡される通知表です。
私の評価は、その通知表で決まるのです。
結果が悪ければ怒られ、良ければ当たり前。私は何のために勉強しているのかがわからなくなり、悪い仲間と付き合うようになり、警察にお世話になることもありました。
父との距離は、広がるばかりでした。

 高校3年生の時、当然のように大学受験をすすめられ、それまでサボっていた勉強を学校に行かず図書館で一人受験勉強をしていました。
受験日まであと1ヶ月と少しの12月の寒い日でした。
「長渕 剛コンサート・当日券有り」と書いたポスターが目に入りました。
私は、当日券を手に入れ、2階席の一番後ろでコンサートを見ることが出来ました。

 コンサートが終わって、自分は何故大学に行くため勉強しているのか疑問を持ちました。
「父に怒られたくないため」・・・ 「自分は何がしたいのか?」と考えました。
音楽が好きで、機械が好きで、コンサートが終わりアーティストとお客さんとの一体感を体験し、こんな空間で仕事がしたいと思いました。
そして、ついに父に大学受験をあきらめると言い出しました。
父は、勝手にしろと怒りました。
私は、舞台芸術の専門学校に入学し、自分の好きなことを学べる環境で2年間が過ぎました。

 そして、自分の組織を作りたくて24歳で、現在の会社を設立しました。
作ると言ったものの、24歳で会社を作るとなると、壁がいっぱいあり、そう簡単には行きませんでした。
 まずは資金集めです。
事業計画書を持って銀行に行きました。
新規事業。業種はPA。
どこの銀行に行っても聞かれることは同じでした。

 銀行との取引はありますか? 「ありません」
 預金はいくらありますか? 「ありません」
 担保になるものは何かありますか? 「ありません」
 保証人はいますか? 「いません」

 この条件では、どこにも断られました。

 ある日、困っている私を見て母がこんな優しい言葉をかけてくれました。
 「お父さんには内緒やで。お母さんは働いてないからお金は一銭も無い。でも着物はいっぱい持っている。この着物を売ってお金を作るからそれでなんとかしなさい。」
応援してくれる母のためにもがんばろうと思いました。

 そして、やっと私の話を聞いていただける方が見つかりました。
この人しかない!と思い1ヶ月間その銀行に通いました。
そして、実績のまったく無い私に、熱意だけで500万円の融資をして下さり、1987年3月、会社は動き出すことができました。

 何年かたち会社が軌道に乗ってきたころ、融資担当の方が転勤になられる時に、今でも忘れられない裏話を教えてくださいました。

 「藤井君は自分の力でお金を借りることができたと思っているかもしれませんが、藤井君に融資が決定したのは、お父さんの存在があったからですよ。ある日、お父さんから連絡があり、『私の息子になんとか融資をしてください。何かあった時は、私が責任を取ります。』と保証人になっていただいたからです。」と・・・。

 私は、どこの銀行に行っても融資を断られていたころ、父に頼みに行ったことがあります。
 「お金を貸してください」当時父は大阪の信用金庫に勤務していました。
しかし、父は「自分で決めたことや。会社を作ることはいいが、お金は貸さない。」と断られました。

 融資担当の方のお話を聞き、気づきました。
 父が私にお金を貸さなかったのは、世間を知って来い。信用の無い人間に500万は貸さないという現実を伝えるためだったのか・・・
もし、あの時、父がお金を貸してくれていたら、自分は甘えてだめになっていたかもしれない。
あえて、厳しい現実を見せて、陰で応援してくれていたんだと気づきました。

 両親に対する感謝の気持ちが、20年間続けてこれた原動力であったと思います。
両親がいてくれたから、自分がこの世に誕生し、今の自分がある。
父に厳しく育ててもらったから、今、自分に厳しく向き合える。
大学受験をしなさいと言ってくれたから、長渕 剛のコンサートに出会った。
このコンサートがきっかけで、この世界に入ることが出来た。

 この感謝の気持ちを伝えようと考えましたが、父との距離があり、言い出せません。
いつ・・・  どこで・・・ どうやって伝えようかと考えれば考えるほど自分がしんどくなってきて、またいつか・・その時が来たらと後回しにしてきました。
しかし、ついにこの気持ちを伝える日が来ました。
自分で企画し、来て欲しい来賓を決めることが出来るイベントは、これしかない!
会社の創立記念式典で、父への感謝を伝える演出を考えました。
2007年5月6日(日)会場はホテルニューオータニ大阪。
創立20周年記念式典でした。
20年間お世話になった方々を中心に、私の両親・家族、社員の両親・家族の方々もご招待し開催いたしました。
この式典の最初の社長挨拶のシーンで、私は父に対し生まれて初めて「感謝の気持ち」を伝えることが出来ました。
父と同じテーブルの来賓の方から、父が私の挨拶を聞いて、涙を流してくれていたことを聞きました。
この感謝の気持ちを伝えるまで時間がかかりました。
現在、私の幸せは、家族のおかげであり、両親のおかげであると気づかせていただいたのは、日本メンタルヘルス協会でした。


 しかし、この幸せな気持ちは、長くは続きませんでした。

 2007年7月6日、記念式典から2ヵ月後に父は脳出血で突然倒れ、救急車で運ばれました。病院に駆けつけた時は、父の意識レベルは低い状態で、会話は出来ず右手だけが動く状態でした。
 私は、父の耳元で大きな声で話をしました。
 「記念式典で感謝の気持ちを伝えられて良かった。僕の父でいてくれてありがとう。」
 「残された家族を大切にします。」
 父の目から大粒の涙が落ちました。そして、右手を強く握ってくれました。
 2007年9月28日父は亡くなりました。
 もう父に感謝の気持ちを伝えることは出来なくなりました。
 しかし、「今しかない!」という気持ちで人生をとらえたとき、人間は動けることに気づかせていただきました。
 この気持ちがあったから、父にも感謝の気持ちを伝えることが出来たと思います。

 日本メンタルヘルス協会に通いだした頃1歳だった長女は、先日4歳になりました。
 とにかく子どもと向き合い、怒らないで教育することをテーマに子育てをしています。
 私が庭の掃除をしていると、時々手伝ってくれます。
 玄関の靴は乱れていましたが、基礎コース後編の「トラブルを解決する」で学んだ環境改善を取り入れ、靴のラインを書いて、「ここに靴を綺麗に並べたら勝ち!」とゲーム感覚で習慣にしたり、歩くのがいやになって「抱っこして」と甘えたら、あそこまでお父さんと競争しようと言って、目線を変えたら走り出したり、受講して気づかせていただいたことを、家庭でも大いに活用しています。

 4歳の娘は、今では毎日のように「お父さん大好き!!」と言ってくれて、朝「お仕事がんばってねー!」と大声で叫び、私の車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれます。
 こんな日常の一コマの中に幸せに感じます。
 お金があって、暮らしやすい住環境があって、いい車に乗って、好きな物は何でもすぐ揃う環境よりも、家族が元気で明るく「今日の夕日は綺麗だね」とみんなで言えるような現在の暮らしが、私にとっては最高の贅沢だと思っています。
 改めて、、、今、私の大切なものは「家族」です。

 日本メンタルヘルス協会という場所は、私にとって「気づき」の宝庫です。

 「ありがとう」という言葉があふれる、平和な国になることを祈っております。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:吉原

藤井さん、受講されていた時期にいろんな事があったんだなぁ~と改めて思いました。
 基礎コース・研究コースと受講されていく中で、藤井さんの変化には驚かされました。
 それは、社員の方の言葉からも感じられました。
 会社への想い・同僚への想いは社長である藤井さんへの想いと同じなんだと思います。

 ご両親への感謝の気持ちで続けてこられた会社だからこそ、藤井さんがそれに気付いたからこそ、
藤井さんのそばには、自分よりも他の人を思いやる事のできる社員の方がいらっしゃるんでしょうね。

 自分の行動や思った事は良くも悪くもその本人に返ってくるといいます。
 まさに藤井さんの行動や思った事は、プラスとなって返ってきてるように感じます。
 自分を見つめ直し、受講して学んだ事をすぐ実行して、今の藤井さんがあるんですね。
 もう今は直接お父様に感謝の気持ちを伝えることは出来ませんが、
式典での言葉やお父様の耳元で伝えられた言葉、、、今まで伝えようとしても、のどにつかえて
 言葉にならなかったり、いつかまたと思ってなかなか伝えられなかった言葉だからこそ、
その一言に深い想いを感じるのかもしれません。
 意識レベルが低い状態のお父様の目から大粒の涙が落ち、右手を強く握られた事は、
 「分かってるよ。充分伝わってるよ。」という藤井さんへのお父様のサインだったのかも・・・・。

 衛藤先生がいつも講座でおっしゃっているように、今当たり前だと思っている事は、
実は当たり前ではなく奇跡の連続。
 仕事がある事、家族がいる事、健康でいる事、そして生きている事。
 いつこの当たり前だと思っている事が、変わってしまうか分かりません。
 仕事からいろんな事を学ばせていただいて感謝、元気でいてくれる家族に感謝、
いつも健康でがんばってくれている自分の身体に感謝、生かされている事に感謝。

 私も「ありがとう」という言葉があふれる世の中になることを祈ります。
 藤井さん、素敵なレポートありがとうございました!