えとうのひとりごと


■何げない一日
2010年2月23日



 前回の“ひとりごと”で、今年の誕生日が、平成22年2月22日の2ならびなので、何か講演会か、何かのイベントを企画すれば良かったと、身の丈の超えたことを言ってしまったけれど、やはり僕は何か特別な一日よりも、いつもの変わらない一日の中に感動が潜んでいるのだと今日も教えてもらった。

 変わらない電車に乗り、コンコースを歩く、しっかり心理学を使って、生きるのを楽になってもらうために教室で話す。メンバーや受講生と笑ったり考えたりする。しっかり生きる。それは、今の目の前のことを“ていねい”に扱う。

 しっかりと歩く。ていねいに・・・・
 目の前の人と、しっかり出会う・・・・
 しっかり食べ物を味わって、口で感じる・・・・
 過ぎて行く時間をしっかりと認識する・・・・
  昨日でも明日とも違う、今日の自分を感じる・・・・明日は、一日分、今日よりも老いた自分なのだから・・・・

 新しい年齢になっての最初の講座。最初の質問。最初の挨拶。最初のフィナーレ。何も変わらないけど、一日分何かが変わっているはず、昨日よりも今日は・・・変わってゆく「世界」と「ぼく」

 だからこそ、今日の笑顔が、今日の挨拶が、今日の出会っている人への接し方が、未来の何かを変えてゆく。

 今日たくさんの優しい言葉をいただきました。やさしい握手をしてくれました。笑顔、笑顔、笑顔。それは、突然今日現れたものではなく、昔、僕が生きた一日からの贈り物なのだと教えてもらいました。

 だからこそ、無駄な一日など何もない。なつかしい人からの手紙、メール、ビデオレター、今日だから伝えてもらった、愛情に満ちた思い、声、言葉、文章。

 だから、隠れて一人泣きました。新幹線の中で切符をチェックに来た車掌さんに見えないように、あわてて涙をぬぐうのは・・・・今まで生きてきた時間の意味が少しわかったから。

 わかっていた。今までも知っていた。「無駄なものなど何もないと・・・・」

 でも、誕生日は、目まぐるしく走り回ってきた僕の日常の意味と、出逢った人々の偶然の奇跡に涙する日でした。

 自分が汗をかきかき、伝えたことの意味が垣間見える瞬間。

 何のために走っているのか、誰のために準備しているのか、なぜ、涙しながら語っているのか、その日々過ごした意味は?

 僕にとってやはり無駄なものは何ひとつなかったと・・・・また、深まった。

 いつもと変わらない何げない一日を、それを味わい、大切に生きることが、
 特別なある日に、意味のない一日などないことを教えてくれる。

 特別な日は、誕生日や卒業の時、そして、死ぬ時かもしれない。僕の誕生日は2月22日。

 そして、僕にも誰にも死没日の日がいつかは来る。だからその日のために、何げない一日を、しっかり生きる。

 特別な日は、何げない日を、どう生きたかで変わってくる。

 お花屋さんで花をチョイスしてくれた人
 時間の数字の2に関連させてメールをくれた人
 何時間待ったのか、何時に乗るかわからないのに駅で待っていた、あなた
 僕のためにケーキを焼いてくれた人
 ビデオレターに朝までかかったと笑っていた人
 たくさんの寄せ書きをまとめてくれた、あなた

 そのさし出してくれた手のひらに乗っているのは、一生けんめいに、あなたがラッピングしてくれたもの。僕はその一瞬の緊張に代えられるほど、ボクは何をあなたにしてあげられたのだろう。どこかの過去の一日に・・・

 ていねいにラッピングなどを開けることができない僕が、あわてて破ってしまうものなのに・・・・そんな僕のために・・・

 だから、僕は楽しい場所にいつまでもいないで、ホテルに帰って、その思いをかみしめて、ていねいに、“ひとりごと”を書かなくてはと思いました。この感動を残したくて・・・

 そんな想いの中で講座をした、いつもの何げない一日は、また僕に「何げない一日など何もない」との思いを教えてくれました。

 また、いつかの特別な日に、出会いの意味を教えてもらうために、今日、ここの何げない普通の一日を、ていねいに大切に生きようと・・・